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獏太郎

厚かましいですが、私も……。 #第35回どうぞ落選供養 ---- すぐそこにある孤独----  母は五十歳になり、突然仕事を辞めた。 高校を卒業して、何となく始めた福祉の仕事だったが、体力の限界を感じる前に、もう一花咲かせたいと、決意したようだ。私が大学に入学したのも影響しているらしい。  私はこの春から大学生活を始めて、新しいアルバイトを始めた。母と同じ職場だ。平日は母が勤務を終えるのと入れ替わりで私が入り、土曜日だけは午前中だけ一緒になる。母は休みを固定にしているので、サークル活動も始めた。それなりに、人生を楽しんでいるようだ。  今どきのドラックストアは、小さなスーパーマーケットでもある。大型店舗ほど広くはないし、洗剤などの日用品も一緒に買えるから、高齢者にはいいらしい。若い方にはコンビニ代わりになっているようだ。  店長に言われた。母は、高齢のお客さんに人気だ、と。昔取った杵柄、とでもいうのかも。何十年も向き合って来たら、そりゃあしらいも、上手いだろう。でも、それだけかな。少し観察してみた。  高齢の方は、母によく話しかけている。品物を探すのではなく、何気ない会話をしている時が多い。しかも、長話ではない。時に探し物を一緒にしてほしいという方もいるが。はて、母の何がそうさせるのか。  観察を暫くして、あることに気づいた。 母は聞き役なのだ。一方的に話しかけてくる高齢者の話を聞いて、時に相槌を打ったり、共感してみたり。ただそれだけ。聞き上手なのだ。名人級のレベルの。  レジに立っている時も、そう。 品物のバーコードを通しながら、話しかけてくるお客さんの話の腰を折ることなく、ただただ聞いている。お金を出すのにどれだけ時間がかかっても、じっと待つ。雨の日などは「お気をつけて」と一言添えて見送る。  お客さんの中には、同じ日に何度もやって来る方がいる。一回の買い物の量は多くない。何度も足を運ばなくても、まとめて買えば一回で済むのに。非常に効率が悪い。これが歳を取るってことかな。そこでやはり、母に話しかける。どんなに忙しくても、母は言葉のキャッチボールを止めない。  母と同じ職場で働き始めて、半年が過ぎた。 母と同じ苗字だねと、声をかけて下さるお客さんがちらほら出始めた。実は親子でして……と話すと、堰を切ったように話しかけられたことがあった。 「家に帰ったらTVしか話す相手がいてないし。お母さんと話すとうれしくてね。ついつい来ちゃうよ~」  えっ。 考えたこともなかった。 我が家には、両親がいて、弟がいて、犬がいて。話し相手はいくらでもいる。  歳を取って、子供が独立して、もし夫婦だけだったら。パートナーが死んでしまって。最後は、ひとりぼっちになってしまう。ご近所さんも歳を取れば、施設に入るかもしれないし、子供さんが引き取るかもしれない。いつの間にか、ひっそりと亡くなっているかもしれない。  母はそんな気持ちが、痛いほどわかっているのかも。いや、痛いほどわかっているのだ。だから短い時間でも、話しかけられたら聞き上手に徹するんだ。  そもそも、なんで母はドラッグストアという経験のない世界に飛び込んだのか。しかも人生初のレジ打ちもあるのに。  もしかしたら、高齢のお客さんが来ても、車いすや体が不自由な人が来ても、すっと対応できると考えたのではないだろうか……。  正直、反省した。 何も考えずに、もうちょっと遊びたいからと安易に大学進学を決めた自分が、恥ずかしくなった。  高校の国語で「二十億光年の孤独」という詩を知った。 二十億光年という単位がどれだけのものか、私には全く想像ができない。 でも孤独は、すぐそこにも沢山あるということは、今の私には想像できる。   (了)

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