#第38回どうぞ落選供養 応募した掌編の内容が、先月ほとんど現実化するという、紛れもないサプライズがおきました😦 『とある職場の昼休み』 地球の裏側にまで届きそうな溜息が漏れた。今日は、俺の誕生日だ。俺は、ゴールデンウィークの祝日に生まれた。社会人になるまで、毎年、誕生日を楽しく過ごしてきた。 だが、今、俺は、職場のデスクの席から動けずにいる。俺が監査法人に入社してから、五年が経った。社会人になってから、対面で誕生日を祝われた経験はない。 一年間で飛躍的な成長を求められる職場で、がむしゃらに働き続けた。その結果、気付けば、同期の中で最も高い評価を受けるようになった。 非常に喜ばしいことだ。だが、誕生日を祝っては貰えない。疲弊した俺は、些細な物事ですら、苛立ちを覚えた。 周囲を見渡した。最繁忙期を迎えたゴールデンウィークの今日、公認会計士たちは、殺気を隠さずに、仕事をしていた。 視界の隅に大きな窓があった。普段はスーツ姿の社会人が溢れている大手町は、閑散とし、皆から忘れ去られた地となっていた。 目の前のパソコン画面に視線を戻した。喉の奥から唸り声が出た。 評価と共に、仕事の難易度は上がった。自分に割り当てられた作業は、全て難易度が高い。まだ片付けられていない作業が、山ほどある。 チームリーダーの大島さんから怒られないだろうか。大島さんから叱責される未来を思い浮かべると、偏頭痛がした。 パソコン画面に影が落ちた。振り返ると、大島さんが、俺のパソコン画面を覗き込んでいた。 「市川君、十二時になったら、会議室Bに来てくれるか。話したいことがあるんだ」 真顔の大島さんは、単調な口調で、俺に要件のみを伝えると、立ち去って行った。 十二時から十三時は、昼休みだ。俺は、昼休みに呼び出しを食らい、激怒されるのだろうか。しかも、会議室Bは、十人を収容できる広い会議室だ。俺は、皆の前で公開処刑されるのだろうか。嫌な予感が膨らんでいった。 十一時五十八分になると、のろのろと会議室Bに向かった。会議室Bに近付くと、会議室Bのスモークガラスの壁越しに、多くの人影が見えた。 今から逃げ出そうか。会議室Bに背を向けようとした瞬間、ドアが開く音がした。 大島さんが、会議室Bの入口で、厳しい表情を浮かべて立っていた。 「着いていたんだったら、とっとと中に入れ」 大島さんの後ろ姿に続き、恐る恐る会議室Bに足を踏み入れた。 突然、大きな物音がした。火薬の匂いが薄っすらとした。様々な色のカラーテープが、会議室Bの中を飛び交った。 チームメンバーがクラッカーを構えていた。会議室Bのテーブルには、ホールケーキが置かれていた。 「市川さん、お誕生日おめでとうございます!」 「大島さん、バレずに済んで、良かったね。普段は、顔に言いたいことが滲み出るのに」 チームメンバーたちの大声に交じり、耳に心地よい低音が聞こえた。 心臓が跳ね上がった。管理職のマネジャーが、会議室Bの奥で、微笑んでいた。 社会人になってから、初めて、楽しい誕生日の時間を過ごした。チームメンバーたちとくだらない話で盛り上がり、ケーキを口いっぱいに頬張った。 楽しい時間は、大島さんの重々しい声で、終わりを告げた。 「ケーキも食べ終わったようだし、市川君の緊張も緩んだだろう。市川君以外は、退室してもらおうか。市川君と大切な話があるからな」 チームメンバーたちが、会議室Bを去って行った。チームメンバーたちの目には、同情が宿っていた。 最後の一人が、会議室Bのドアを閉めた。マネジャーとチームリーダーを前に、張り詰めた空気が漂った。大島さんが、おもむろにパソコンを取り出した。チームメンバー全員の作業の進捗が、パソコン画面に映し出されていた。 「市川君の今の進捗だが、大幅に遅れている。他のチームメンバーに市川君の作業を手伝ってもらおうかとも考えたが、市川君と同等の能力を持つメンバーが他にいない。市川君に頑張ってもらうしかないんだ」 予想していた通りの言葉が、大島さんの口から垂れ流されていった。テーブルの隅を見ながら、「申し訳ございません」と、蚊の鳴くような声で繰り返し言った。 「最後に、最も大切な話がある。市川君への誕生日プレゼントについてだ」 視線をテーブルの隅から大島さんに移した。 マネジャーとチームリーダーが、揃って穏やかな笑みを浮かべていた。マネジャーが、天気の話をするように、ゆったりと語り始めた。 「大島君はね、繁忙期が終わったら、退職して独立するんだ。新天地での大島君の活躍を祈るよ」 マネジャーは、自慢の息子を見るような目付きで、大島さんを見た。大島さんは、照れ臭そうに、鼻の頭を掻いていた。 「待って下さい。大島さんがいなくなったら、俺たちは、どうなるんですか! 次のチームリーダーは、誰になるんですか!」 にこやかに笑い合っている場合では、ないだろう? 俺たちは、今後、どうしたら良いんだ? 今度は、大島さんが、自慢の息子を見るような目付きで、俺を見た。 「次のチームリーダーは、市川君だ。チームリーダーを経験して、初めて一通りの業務を経験したと言える。俺からの誕生日プレゼントだ」 「何か起きればフォローするから、安心しろ」 マネジャーの柔らかな声が、遠く聞こえた。歓喜と絶望が、胸の内に押し寄せた。 誕生日プレゼントの規模が、大き過ぎる。俺は、喜んだほうが、良いのだろうか。嘆いたほうが、良いのか。絶叫したほうが、良いのだろうか。 半ば大任を押し付けられた俺の前で、マネジャーとチームリーダーは、のんきに笑い合っていた。(了)
みぞれ