黒田様、コメント誠にありがとうございます。「入り口と出口を呼応!」、目から鱗でございます。本当に勉強になりました。今後に生かすことができるよう、精進してまいります。謹んでお礼申し上げます!
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#第36回どうぞ落選供養 恥ずかしい限りですが、ご供養させていただきます。「豚まん」が大好きなので書いたものです。 ■芸術は豚まんだ! その豚まんは「551ホウライ」の豚まんと同じように見えるだろう?寒い季節は、辛子醤油で食べると美味しいあの豚まんだ。だが、これは「芸術の豚まん」という名の一つ一万円もする高いものものなんだよ。子供のおやつに食べるようなものではないよ。紹介制度により、購入方法は選ばれた一部の人々にしか知られていないんだけどね…。 正確にいうと、この豚まん自体が芸術というわけではない。この豚まんを食べると、どういうわけだか、芸術の審美眼が研ぎ澄まされ、あらゆる芸術作品―絵画、音楽、彫刻、映画、文学なんかに対する「目が肥える」んだ。豚まんを食べた後に、絵画や彫刻を見たり、音楽を聞いたり、映画を鑑賞したり、文学を読んだりすると、その価値を十二分に堪能できるんだ。つまり、豚まんを食べることで、超一流の芸術批評家の感覚を持つことができるというわけだね。 この豚まんの秘密は、「あん」の配合率にある。材料には、豚肉、ねぎ、そしてしいたけと舞茸が使われている。これは特に特別なものでなくても構わないそうだ。ただ、その材料の配合率は公表されていない。最初にこの豚まんを作った男―仮にA氏としよう―によると偶然から生まれた比率だそうだ。それが本当か噓かは分からない。不思議に思ったある購入者が、友人が経営する食料品メーカーの研究室に分析を依頼したところ、分析担当者は急性心不全で他界し、依頼者は交通事故で即死したそうだ。さらに、そのメーカーの経営者は行方不明になったそうだ。これも本当かはわからない。都市伝説かもしれないね。 そんな怖い顔をしないでくれよ。豚まんの作り方の秘密を探ろうなんて考えさえ起こさなければ何も起こらないさ。むしろ、いいことしか起こらないよ。デパートの中で流れている音楽や、テレビの画面で目にする絵画の本当の価値が分かり、日々芸術作品に囲まれている喜びにつつまれた人生を送ることができるんだ。それが、一度この豚まんを食べると、これからもずっと食べていきたくなる理由なんだ。かくいう俺も、この豚まんを食べてもう十年になるかな…。 俺の場合は、芸術では文学が一番好きだから、新しい芥川賞の小説を読むたびに目を通すんだけど、その小説家がこれからどうなっていくのかなんとなく想像できてしまうんだな。え、どういうことかって?真の芸術ではないものは、豚まんを食べた人間には明らかなので、芥川賞を受賞した小説が芸術かどうかわかってしまうということさ。ほら、昔の芥川賞作家でも、純文学小説家の触れ込みでデビューして芥川賞を受賞したのに、それから大衆や官能路線に移っていく作家っているだろう?受賞作を読むと、俺にはそれが芸術作品かどうかわかる、だから芸術でない芥川賞受賞作品を書いた作家は、その後、「芸術家」にはなれないことが多いみたいだよ。この豚マンを食べているとそういうことが分かるっていうことだよ。嬉しい未来も、悲しい未来も作品の後ろにあるっていうことかな。 一つ一万円でこんなことが分かるようになれば、きっと人生がもっと感動的になると君も思うだろう?芸術とは人の心をうつもの、感動させるものだからな。君もそれでこの豚まんを食べたくなったんだろう?え?そんな理由じゃないって?じゃ、どんな理由なの?あと、一つ一万円で少々高いけど、一カ月に一つ食べれば「芸術の豚まん」の効果は維持されるから、年間十二万円の投資だよ。あ、消費税込みね。それほどバカ高いものではないだろう。え?それも知ってるんだね。噂ってすごいものだね。誰から聞いたかは特に詮索しないよ。その人物は、君が「豚まん」を食べるに値する人物」と思って費用のことを話したんだろうしね。 そうそう、ただ一つだけ「審査」があるんだよ。それはね、豚まんを食べたい理由を教えてもらうことだよ。それが、「芸術の豚まんの会理事」でもある俺が今、君と話している理由なんだ。え?絵画や彫刻のオークションで、贋作を割り出し、利益を増やすのに使いたいって?あんた美術品を売り買いする仕事かい?え?本職は美術館のキュレーターだって?最近は、精巧にできた贋作が多いから、芸術に対する直感的な審美眼がほしいって?豚まんの力があれば、贋作は確かにすぐわかるだろうな。分かった。「芸術の豚まんの会」の入会審査は終わったよ。結果は一週間後に連絡するよ。お時間ありがとう。 ―一週間後、美術館のキュレーター兼美術品の闇ブローカーのB氏は、急性心不全で他界した。「芸術の豚まんの会理事」兼「入会審査員」の男はつぶやいた。「我々は芸術をフルに楽しむ力を手に入れる、でもその力で世の中を変えていこうといった考えはNGなんだよ…」「芸術の豚まん」の神秘がまた、一人よこしまな心を持つ者を始末してくれたようだ。ありがとう。芸術とは個人的なものだ。あくまで個人として、芸術的価値を理解し楽しむためにこの豚まんはあるんだ。芸術には批評家なんて、本当は必要ないんだ。それがアートのありかただ。
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#第35回どうぞ落選供養 黒田様、「特別企画」参加させていただきます。 ありがとうございます。 ---虫取り名人--- もう半世紀近く前の話だ。僕は夏休みになると、毎年埼玉県の郊外にある叔父の家に、十日ほど一人で泊まりに行った。自然が好きな僕には埼玉県の自然が羨ましかった。雑木林でカブトムシやクワガタムシを取ったり、田んぼの用水路で鮒を釣ったりしていると一日はあっという間だった。子供がいない叔父夫婦は、僕をとても可愛がってくれた。小学生のころは、母が迎えにくると「帰りたくない。ずっとここに住む」と泣きながらダダをこねたのを覚えている。 叔母の家の周りに住んでいた子供たちとも仲良くなって、僕は皆に「東京からきた虫取りの達人」とよばれていた。なぜだかしらないけれども、僕が倒木をひっくり返すとそこにはクワガタムシがたくさんいたり、僕が木の幹に塗り付けた蜜には翌日たくさんカブトムシがきていたりといったことが、僕を「達人」とよばせたのだろう。夏休みが近づくにつれて「また、たくさん虫をとろう!」と考えるとワクワクしたのを覚えている。 この楽しみは、小学生から中学生になっても続いた。でも、中学三年のとき、父親の海外転勤が決まり、僕はカナダの高校に行くことになった。カナダからは夏休みになっても叔母の家にいくことはできないだろう。自然が豊富なカナダに行けることは楽しみだったが、埼玉県の自然と当分お別れなのはなんだか寂しく悲しかった。 中学三年生の夏休み、僕は叔母の家に着くとすぐに、近くの「野犬の森」と呼ばれていた雑木林に向かった。森の虫や木に一人で別れを告げるつもりだった。その森には、むかしは野良犬がたくさん住み着いていて、夜になると犬たちの遠吠えが聞こえたそうだ。役所の野犬狩りのためもう、そのころには野犬はいなかった。二十分ほど歩くと僕は、森の中心部のカブトムシやクワガタがあつまるクヌギの大木の前に立っていた。木の根元に座り込み幹を背にしていると、いつのまにか眠ってしまった。 「虫取りの達人の坊やかい?この夏も来たんだね。ゆつくりしていくといい」 クヌギの木から老婆のような声が聞こえた。 「誰?僕のことを知ってるの?」 「なんで木がしゃべるんだろうって思ってるんだろう?あんたが初めてきたときからずっとよく見ていたよ。自然が好きな子供は私たちの仲間だよ」 とまた木から声が聞こえた。 「しばらく外国へいってしまうんだろう。残念だけど、坊やと会うのはこれが最後だ。二~三年後にはこの森はなくなり、住宅地になってしまうんだ。世の中の流れだね」 とさびしそうにクヌギの木はいった。 「森がなくなってしまうの?そんなの嫌だよ!」僕は叫んだ。 「もう決まっていることだから仕方がないんだよ。これが最後だからね、坊やを【虫取りの名人】にしてあげるよ。達人を超えた名人に…。時にはこの森のことを思い出してくれると嬉しいね」 「どういうこと?虫取りの名人ってなんだい?」 「今にわかるよ。フフフ…」 目が覚めた。全部夢だったんだ。もう、夕方が近かった。クヌギの木の幹には、カブトムシやクワガタムシが集まってきていた。 「僕は虫取りの名人になったのかな?」 と僕はクヌギの大木に話しかけた。返事はなかったが、雑木林の中をさわやかな風がめぐった。 「おい、達人!今年もきたな!なに、木の前でぼーっとしてるんだ?」 気が付くと、近所の家の仲良しの、敏夫が後ろにいた。叔母の家で僕がきたのを聞いてきたらしい。 「来年は俺たち、高校だな。お前高校生になってもくるだろ?」 僕は、なんとなく自分がカナダに行くことを言いそびれてしまった。その夏、僕はいつもと同じように、十日の間虫を取ったり、川で遊んだりした。東京に帰る時、来年はこないことを仲間たちに伝えることはできなかった。 僕がカナダの高校を卒業して帰国したときには、もう「野犬の森」はなくなり、マンションが建てられているところだった。その後、僕が叔母の家に行くことはなかった。 僕は大学の理学部で生物学を学び、昆虫学者となった。数十年が過ぎた。まわりの研究者たちは、僕を「虫取り名人」とよび、海外の調査団に加わったときはMaster Bug Catcherとよばれた。その理由は、他の人が苦労するようなときでも、僕はいつでも虫を採集することができたからだ。新種の昆虫を発見したことも何度かあり、自分でいうのはおこがましいが、昆虫学会では誰もが知っている存在になったようだ。クヌギの木がいったとおり、「虫取りがうまいだけの達人」から「世に知られた虫取り名人」に成長できたのかもしれない。 「ありがとう、クヌギの木のおばあさん。おかげで虫取り名人になれたよ」 と僕は「野犬の森」にいってクヌギの木に伝えたいけれども、もう「野犬の森」はない。 (了)