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第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 老婆と誘拐/齊藤想

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第4回結果発表
課 題

老い

※応募数344編
「老婆と誘拐」
齊藤想

 自業自得とは言え、オレはいままで散々な人生を送ってきた。
 大学中退後は派遣社員で糊口ここうをしのいでいたが、不況で仕事を失い、一発逆転を狙ってギャンブルにのめりこんで撃沈し、挙句の果てに実家の金にまで手を付けた。
 窃盗行為はすぐにバレて勘当され、実家の鍵も電話番号も変えられた。
 失うものはない。
 オレは、破れかぶれに金持ちのボンボンを誘拐することにした。
 もちろん成功するとは思っていない。失敗したら刑務所にぶち込まれる。刑務所に入れば、自由はないが飢えることはない。借金取りから追われることもない。
 そう考えてしまうほど、オレは追い詰められていた。
 十分な下見をして、狙いを付けた豪邸に侵入するまでは良かった。だが、豪邸にいたのはボンボンではなく小柄な老婆だった。しかも軽い認知症が入っているようだ。
 老婆はオレのことを認めると、なぜか拝み始めた。
「私のことを助けにきてくれたのかい。ありがたや、ありがたや」
 オレは悪人だ。お前の孫を誘拐しにきたのだ。何度訂正しても、馬耳東風。馬の耳に念仏。オレの話を聞こうともしない。
 老婆はよっこらしょと、立ち上がった。
「お茶にでもしましょうかね。お茶の葉はここだったかしら」
 老婆は戸棚の奥をあさり始めた。だが、手足が震えておぼつかない。つかみかけた茶筒を落とし、中身が床にこぼれる。なんとか急須に茶葉を入れるも、今度はポットの注ぎ口を急須に合わせることができない。
 老婆は泣き出した。
「少し前は何でもできたのに、いまやお茶を入れることすらできません。情けないです。年は取りたくないです」
 仕方なく、オレは老婆に代わってお茶を入れた。老婆はおいしそうにオレの入れたお茶を飲む。
 オレはおばあちゃんを慰めた。
「寂しいこと言うなよ。おばあちゃんにもできることはあるぜ。例えば、オレと一緒にドライブに行くこととか」
「それは、おでーと、というものかい」
「まあ、そんな感じ」
 こうして、オレは老婆の誘拐に成功した。
 さて、これからどうしよう。あの家族は幾らなら応じるだろうか。ボンボンなら五千万円と考えていたが、老婆の相場が分からない。高くすべきか安くすべきなのか。
 悩み抜いて控えめに二千万円を要求したところ、相手はあっさりと応じてくれた。しかも警察に届ける気はないという。
 ただ、ひとつだけ条件がつけられた。
「貴殿が誘拐した老婆の返却は不要です。返却された場合、警察に届け出ます」
 オレは、自分が誘拐犯であることを忘れて怒りがこみ上げた。世の中にはひどい家族もあるものだ。これでは、現代の姥捨て山ではないか。
 老婆は悲しそうにつぶやく。
「家族から捨てられるのも、仕方がありません。私も年を取って、役に立たなくなったものですから」
「バカなことを言うなよ。この世に無駄な人間などいない。なにせ、おばあちゃんのおかげで、このお金が手に入ったのだから」
 オレは二千万の入ったバッグを誇らしげに持ち上げた。
「けど、お金が手に入ったのなら、私は用済みです。もうお役に立てませんので、そろそろおいとましなければなりません」
 老婆は腰を上げて、外に出ようとする。オレは慌てて老婆の前に立ちふさがった。
「ちょっと待て。どこに行く気だ」
「もちろん、あの世です」
「ダメだ。まだ死んではいけない。おばあちゃんには、残された仕事があるのだから」
 たぶん、オレは感傷的になっている。老婆に失った母親を投影している。そう思っていても、感情が止まらない。
「これからは二人で生活するんだ。オレもおばあちゃんも、家族から見放されて、天涯孤独の身だ。けど、二人なら孤独じゃない」
「それでは生活に困るでしょう」
「だから、おばあちゃんの助けがいるんだ。おばあちゃんだって、やり残したことがあるはずだろ」
 オレは老婆の両手を握った。老婆の手は皺だらけで、とても温かかった。
「一緒に頑張ろうよ」
「はい」と老婆はうなずいた。老婆の肩は、かすかに震えていた。
 そして、オレと老婆はあの家のボンボンを誘拐する計画を立て始めた。オレは生活のために、老婆は家族への復讐のために。
(了)