第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 若返りツアー顛末記/家田満理
第4回結果発表
課 題
老い
※応募数344編
「若返りツアー顛末記」
家田満理
家田満理
私の名前は、佐伯由香。定年退職して数年、少しずつ老いを感じるようになった。
超高齢化社会で少子化社会。いざ介護が必要になっても、それを担ってくれる人手は期待できない。自分のことが自分でできるうちに、身の振り方を考えたいものだ。
そんな折、時々行く近所の健康ランドで、顔見知りの幸子に出会った。
彼女は、中学の頃の同級生。お互い独身のまま会社を定年まで勤めあげ、親を見取った境遇までが似ていた。
「いつ見ても若いわね、由香ちゃん」
さりげない、見え見えのお世辞が、彼女の挨拶がわりだ。お互い判っているので、私もお決まりの言葉を返す。
「さっちゃんこそ、相変わらず綺麗よ」
私たちは無意味な世辞合戦を、あと何年続けるのだろう。
年を取ることの利点は、老けていると思われないか気にしなくて良いところにある。
だから本音をぶつけてみることにした。
「最近、皺も増えたし、記憶も覚束ないの」
「あら」
さも驚いたように幸子は答えた。
「私も、同じよ」
それから私の耳元に顔を寄せると、小声で言った。
「ちょっと、耳よりな話があるのよ」
入浴後のコーヒー牛乳を飲みながら、幸子が見せてくれたパンフレットは、「若返りツアー」というものだった。
「繁華街で配っていたの」
何だか胡散臭い。一週間の滞在で、三万円。
インチキにしても、お値打ちだ。
お互い物好きなところで気が合っているので、一緒に参加することにした。
女性ばかり三十人が同乗した観光バス。数時間で、湖のほとりのリゾートホテルに着いた。
温泉に入り、マッサージを受け、美味しい料理を堪能する。
若返りでなくても、十分満足できる。
それに、温泉の効能なのか夕食後に飲んだ特製ドリンクのせいなのか、肌もすべすべし、皺も浅くなったような気がした。
幸子と私は、若い頃を思い出して、少しはしゃいだ。他の参加者も、友人同士参加している人が多くて、賑やかな雰囲気に包まれていた。
三日目には腹筋ができるようになり、五日目には、ついぞしたことのないジョギングをした。湖のまわり何周も。化粧のノリが良くなり、見た目年齢は半分くらい。
夢見心地の一週間が過ぎ、いよいよ帰る時が近づいた。
「皆さんに内々の提案があります」
ツアーを企画した旅行社の社員が参加者を集め、初めて見るダークスーツの男性が話を始めた。
「実はこのツアーは、高齢化対策として政府が立ち上げた試みで、皆さんはその第五回参加者です。今回は女性対象で、男性対象の回もあります。
極秘の研究でできた、若返りの薬。特製ジュースに少量ずつ入っていたのですが、効果はご覧の通り。
ここに集まった皆さんは、近しい身寄りのない方です。
お配りした封筒の中に新しい戸籍が入っています。よろしければ、その年齢のその人として、再び生きて頂きたい。仕事をし、恋をし、家庭を築く」
私のものも幸子のものも、年齢が半分の女性になっている。
「もちろん、賛同できない方もいらっしゃるでしょう。その方には、この小瓶をお渡しします。害はありません。ここで受けた若返りの効果だけを打ち消すものです。あとはこのことを秘密にして頂ければ」
二十五人は、新しい人生を受け入れた。幸子も、その一人だ。
私は考えた末、帰りのバスで、小瓶の中の液体を飲み干した。
数分で、見慣れた手の皺が現れた。顔も首も、ぴんと張っていた皮膚が、緩むのを感じた。
「じゃあね」
幸子と私は、バスを降りた次の角で別れた。幸子には別の人生が用意されている。
数か月後、私は偶然、離れた町で幸子を見かけた。同じような年頃の男性と一緒で、楽しげに輝いていた。
私はと言えば、ツアーに行くまでの日常に、すんなりと戻っていた。起きて、食べて、家庭菜園と読書で時をすごして、眠る。
幸子のように、もう一度、恋する季節を生きることを選ばなかった。
何十年もかけて手に入れた、恋などに心揺らされずに済む人生。
手放すなんて、できる筈はなかった。
(了)