第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 思い出買い取り屋/ナラネコ
第4回結果発表
課 題
老い
※応募数344編
「思い出買い取り屋」
ナラネコ
ナラネコ
ある朝、古沢周一がいつものように郵便受けから新聞を取り出すと、お決まりの雑多な折込広告の中に妙なチラシが交じっていた。
「ご家族の思い出の品を、思い出ごと高価買い取りいたします」
こんな文句の下に店の地図が載っている。
周一は首をひねった。家庭の不要な品を買い取る業者というのはよくあるが、思い出の品限定というのは聞いたことがない。それに「思い出ごと」とはどういう意味なのか。
周一は七十八歳の老人だ。若い頃、汗水流して働き手に入れた一戸建ての家に、一人で暮らしている。家族がいたときは手狭に感じたが、老いを感じる年となった今は掃除するのも億劫で、埃がたまっている部屋もある。昔は母の光江に妻の加代と娘の沙也、それに三毛猫のソラもいて、活気のある家だった。
母が亡くなったのが十八年前だ。寒い季節に風邪をこじらせて肺炎になり、九十近い高齢だったので体が持たなかったのだ。十四年前には交通事故で妻が世を去った。パートタイムで働いて、家計を助けてくれていたのだが、六十を越え、そろそろのんびり暮らそうかという話をしていた矢先だった。
そして娘の沙也が家を離れたのが十二年前だった。結婚して新しい生活のために家を出たのだ。娘の結婚に周一は反対した。相手の男の仕事や、大学を出ていないことに難癖をつけたのだが、一人娘を手放したくなかったのが本音だった。二人は喧嘩し、娘は勝手に家を出ていき、結婚式も友人たちだけで挙げてしまった。周一はそれから一度も沙也に会っていない。沙也が家を出ると、彼女に懐いていた三毛猫のソラも姿を消してしまった。
「皆いなくなってしまった。今更、昔のことを思い出してもしかたない。老い先短い身で貯えもない。一度この店に行ってみようか」
周一は押し入れの中を探し、奥にしまいこんでいた品をバッグに入れると家を出た。外には五月の爽やかな青空が広がっている。
店は一階建ての小さな建物で、白い壁面にガラス戸の入口があり、「思い出の品買い取り」という木の看板が上にかかっている。
少しためらったが、周一は店の中に入った。がらんとした部屋の真ん中に大きな事務机があり、パソコンが一台置かれている。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらに」
座っていた男が立ち上がり、穏やかな口調で机の前の客用の椅子を勧める。髪はきれいに七三に分け、黒ぶちのメガネをかけている。年齢は二十代の若者のようにも、その落ち着いた表情からもっと上にも見える。
「買い取り価格はお客様の思い出の深さによって決まりますので、品物についてのエピソードを聞かせてください。この品は?」
「これは母が台所でいつも着ていた割烹着です。私が子どもの頃、母はこれを着て、毎朝おいしい味噌汁を作ってくれました」
話しながら、周一の頭の中には、昔のやさしかった母の姿が浮かんでくる。
男は微笑を浮かべて話を聞き、手慣れた仕草でパソコンに何か打ち込んでいる。
「次の品は?」
「これは昔のアルバムです。まだデジタルカメラがない時代なので、こうやって一枚一枚写真を貼ってあります。ほとんどが妻といっしょに旅行に行ったときの写真です」
周一がそのアルバムを見るのは何十年ぶりか。海辺の写真、山を歩いた時の写真。若い頃の妻との思い出が次々と心に甦ってくる。
男は相変わらず笑顔で話を聞きながら、パソコンのキーボードに指を運んでいる。
「これで最後ですね。この品は?」
「これは娘が幼い頃の姿を撮影したビデオテープです」
男は立ち上がり、後ろのロッカーからビデオデッキを取り出し、机の上に置いた。
「ちょっと拝見します」
このビデオを見るのも久しぶりだ。七五三、幼稚園の運動会、小学校の入学式。忘れかけていた幼い娘の姿が画面に映し出される。
周一の目に涙が浮かんでいるのを横目に、男は淡々とパソコンを操作している。
「すばらしい思い出をお持ちです。それでは合わせてこれで買い取らせていただきます」
プリンターがカタカタと音を立て、出てきた一枚の紙片を、男は周一に渡した。そこには、彼がこれから一生ぜいたくしても暮らしに困らないくらいの金額が記されている。男は相変わらず穏やかな口調でこう言った。
「念のため確認させていただきます。これらの品に関わる記憶は、お客様の心からすべて消去されてしまいます。よろしいですね」
周一は、机の上の品物をカバンに戻すと立ち上がり、黙って足早に出口に向かった。
家に帰った周一は、十二年ぶりに娘の沙也に電話をかけてみた。受話器の向こうから、なつかしい朗らかな声が聞こえる。
それから後、思い出買い取り屋のチラシが周一のもとに届くことはなかった。
(了)