第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 私が一番好きな私/有薗花芽
第17回結果発表
課 題
家
※応募数253編
選外佳作
「私が一番好きな私」
有薗花芽
「私が一番好きな私」
有薗花芽
さてと、とうとう最後の選択画面まで来てしまった。住む場所や希望のサービスなど、あとで変更できるものを選ぶのは簡単だった。だが、この最後の選択だけは、一度決定ボタンを押したら、未来永劫、永遠に変更はできない。なぜならこれが、これから住む仮想現実の世界で、「私」を識別するための目印、つまりは身分証明書となるからだ。
私はため息をついた。画面にはズラリとニ十種類のアバターが並んでいる。それらはすべて、現実の世界を生きてきた過去の私の姿だ。五歳から五年刻みでニ十体の「私」がゆっくりと回転しながら表示されていた。
結局、今日もまた最後のアバター選択を完了しないまま画面を閉じてしまった。今週末までには何がなんでも、どれか一つを選び、「捨肉」を完了しなければいけない。「捨肉」後の人生は不老不死だ。すべての痛みから解放され、すこぶる快適な仮想空間での生活が待っているというのに、私はどの「私」を永遠の時間を生きるアバターとして選ぶべきなのか、決めきれずにグズグズしていた。
「母さん、やっぱり五十歳がいいよ。あんまり若すぎると、何だか母さんって感じがしないし。でも、せっかくだから、若返って元気な姿が見たいとも思うしね」と息子が言った。
「そおねえ、考えてみるわ」と私は答えた。
息子はかわいいが、自分本位な考えしかできないところは夫にそっくりだ。そういえば息子には「受肉」待ちの赤ん坊がひとりいる。地球上の人口が百億を超えないように、「捨肉」と「受肉」のバランスはきっちり管理されていて、息子の赤ん坊もそのうち順番が回ってくれば、ただの遺伝子情報から、ちゃんとした肉体を持った現実の赤ん坊になるのだ。その重みを腕に抱いたら息子にも、少しは自己犠牲的な愛が芽生えるんだろうか。
「ちなみに俺の意見は……」と、聞かれてもいないのに、夫が口を挟んできた。私の片眉は自然とつりあがる。夫の意見など、もとより聞く気などないというのに、相も変わらぬ鈍感さで夫は言葉を続けた。
「俺たちが出会った頃の姿がいいな。あれは君が二十四歳のときだったから、四捨五入して、二十歳を選ぶといい。あの頃が君は一番痩せてたし綺麗だった。俺も来年には捨肉だから、君と釣り合うように二十歳を選ぶよ」
私はひきつった顔で「そおねえ」とあいまいな返事をした。今世で、この一つ年下でわがままな夫には、どれだけ振り回されてきたことだろう。私は捨肉と同時に、夫も綺麗さっぱり捨て去る腹づもりでいた。
「あら、みんながどんなお母さんを見たいかなんて関係ないわ。お母さんはただ、自分がありたい姿を選んだらいいのよ。五歳だろうが、百歳だろうが、今までで自分が一番好きだった自分の姿を選ぶべきよ」
娘のきっぱりとした言葉に、私は思わず顔をほころばせた。いつだって娘だけは私の気持ちに寄りそってくれる。
「だけど、五歳はともかく、老いさらばえた百歳の姿を選ぶなんて、ナンセンスだろ?」と夫は不服そうに鼻を鳴らした。
さてと、とうとう今日も最後の選択画面まで来てしまった。今日こそは、目の前の画面に並んだ二十体のアバターの中から、私が一番好きな「私」を選ばなければならない。私はもう一度じっくりと「私」たちを見直す。
五歳の「私」はおかっぱ頭でかわいらしい。十代の「私」はひょろりと手足が長くて日焼けしすぎだ。二十代はたしかに夫が言うとおり、ほっそりしていて一番綺麗だ。三十代も悪くない。四十代は体の輪郭がゆるみ始まっている。五十代で急に白髪が増えて、六十代は脂肪がついてまん丸だ。七十代で猫背になり、八十代では体がしぼんで小さくなっている。九十代はもう、かなりくたびれた感じだ。
本当は……私が押すべきボタンは決まっていた。ただ私には、そのボタンを押す勇気がどうしても出なかっただけなのだ。
私には秘密があった。子どもたちのために、泣く泣くあきらめた不倫の恋。相手にも奥さんがいて、子どもがいた。私よりも一つ年上だったから、あの人も去年、捨肉をしたはずだ。私たちは約束していた。肉体から自由になったら一緒になろうと。もし、ずっと気持ちが変わらないでいたのなら、その証拠として二人が出会ったそのときの姿をアバターに選んで再会しようと固く誓っていたのだ。
あの人が一番よく知っている私の姿、つまり四十五歳の決定ボタンを私がなかなか押せずにいたのは、もしあの人が、私との約束を守っていなかったらと思うと怖かったからだ。中年の私が青年のあの人と再会するなんてことになったら、あまりに惨めすぎる。とてもじゃないが耐えられそうにない。
『アバター選択:二十歳の私』
私はえいやっと最終決定ボタンを押した。
そう、結局のところ、この期に及んでも……私が一番好きなのは私なのだ。
(了)