第19回「小説でもどうぞ」最優秀賞 プレーンタルトケーキ 十六夜博士
第19回結果発表
課 題
もの食う話
※応募数276編
プレーンタルトケーキ
十六夜博士
十六夜博士
プロポーズをされた帰り道、心の焦点が定まらない私はいつしか元カレの連絡先をスマホで探していた。チャットのアカウントは消してしまったけど、なんとなく消しそびれたスマホの番号は残っていた。『タクちゃん』と書かれた連絡先――。
(タクちゃん、私のことどう思ってるの?)
(どうって? 大好きに決まってんじゃん)
全くブレイクする気配のない俳優志望のタクちゃんは、私の問いをはぐらかすつもりはなかったのかもしれないけど、さりげなく将来のことを聞くと、いつもこんな回答をした。いつしか、いつまでも夢を追いかけているタクちゃんに付いていけないって、三十路前の私は焦った。もっと安定した職に就いて、私と一緒に家族を作ってほしかった。
そんな想いで別れ、婚活サイトに登録し、自分でもビックリするくらい良い人に出会った。大企業に勤めて、温厚。価値観だってずれてない。そんな彼に、待望のプロポーズを受けた日、なんでタクちゃんを思い出すのか。
彼と行ったフレンチ料理店のデザートがイチゴのタルトだった。タルト生地の上に幾つかのイチゴが盛られ、イチゴの山みたいなデザート。私も彼も、端から崩す形で、イチゴとタルト生地を交互に、または一緒に食べた。その時、こんなことを思い出した。タクちゃんだったらイチゴを全部食べてからタルト生地を食べるんだろうな――。
『好きなモノから食べる』
タクちゃんは妙な考えを持っていた。好きなモノを最初に食べるか、最後に食べるか。タクちゃんは、最初に食べる派の原理主義者だった。イチゴのケーキが大好きで、イチゴのケーキが美味しい喫茶店は私たちの行きつけだったけど、ショートケーキだったら、スポンジに乗っかったイチゴをいつも最初に食べた。その程度なら驚かないけど、今日のフレンチで出たイチゴのタルトでも、最初に全部イチゴを食べてしまう。生地だけ最後に食べて美味しいのかな? と訝った。
旅行に行った時に買った崎陽軒のシウマイ弁当のシュウマイを最初に食べてしまった時は流石に呆れた。
(タクちゃんのお弁当、もうシュウマイ弁当じゃないよ……)
(うん、今は唐揚げ弁当だな)
そういうと唐揚げを食べた。そして、鮪のづけ焼き弁当になり、筍弁当になり、最後に切り昆布弁当になった。ああっ、タクちゃんはこの中だと、昆布が一番嫌いなんだとわかる。タクちゃん曰く、二つの理由があった。
ひとつは、ご飯を食べている時に地震が起きたり、ミサイルが落ちたりして、一番好きなモノを食べていなかったら後悔するという理由。もうひとつは、一番好きなモノを最初に食べていくと、常に一番好きなモノを食べ続けることが出来るという理由。なるほどと思うと共に、うーんと首を傾げたものだった。
そんなタクちゃんが大好きだったのに――。スマホの『タクちゃん』が滲んでいった。
かつて行きつけだった喫茶店で待っていると、一年前と変わらないタクちゃんが現れた。プロポーズされて一週間後、結局私から、(相談があるの)と、連絡を取ってしまった。
タクちゃんは、ちょっと気まずそうな顔をして私の前に座る。いつもので良い? と聞くと、首をコクリとした。私はイチゴタルトとブレンドコーヒーのセットを二つ頼んだ。
元気だった? ああ。今日はちょっと寒いな、そうね。他所行きの会話をしばらくしているとケーキのセットが届く。私はコーヒーを一口飲むと思い切って言った。
「プロポーズされた」
コーヒーを飲もうとしていたタクちゃんの手が止まる。「……おめでとう」と目を伏せた。
「でも断った」
タクちゃんが私を見た。
「もし彼女がいなかったら、もう一回、付き合ったもらえないかな? 役者を目指し続けても良いし、結婚もしてくれなくてもいいし……」一気に言って目を伏せた。
カランコロンという扉の音、サイフォンのコポコポという音が、二人の間に流れる。
「彼女はいないし、役者は今、辞めた。だから結婚しよう」
顔を上げるとタクちゃんは笑っていた。
「役者、辞めなくて良いよ。結婚だって……」
想像してなかった展開に私の方が戸惑っていると、タクちゃんは付け加える。
「一番好きなモノを優先するって知ってるでしょ。一年前、それに気付かなくてごめんな」
泣きそうになる。
「食べよう」
私がメソメソしないように、タクちゃんはそう言うとイチゴタルトを食べ始めた。イチゴタルトは、やっぱりすぐに、プレーンタルトケーキになった。
(了)