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第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 雑貨屋オラクル/諸井佳文

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第5回結果発表
課 題

魔法

※応募数250編
選外佳作
 雑貨屋オラクル
諸井佳文

 その店は商店街のはずれにあった。
 ヨーロッパやら東南アジアやらのいろいろな雑貨を売っている店で、琴美のお気に入りだった。特にイギリス製のフレーバーティーは絶品で、琴美は切らしたことがない。その日も店内をいろいろ見回しながら、結局他のものは買わず、そのお茶だけ持ってレジに向かった。
「ポイントカードはお持ちですか?」
 店主は白髪の女性で年齢不詳だ。そのうえ国籍も不明だ。琴美は財布の中を探してカードを取り出した。
「あら、ポイントが満杯」
 店主は奥の戸棚から一枚の封筒を取りだした。
「どうぞ使ってくださいな」
 家に帰った琴美は封筒を開けてみた。中には薔薇の絵のカードが一枚入っていた。
 ――あなたは一度だけ魔法が使えます。
 と書かれていた。
 どういう意味だろうと思いながらも、琴美は夕食の仕度を始めた。
 六時間後、ソファでうとうとしていたらドアフォンで起こされた。時計を見たら十一時だった。
「お帰りなさい」
 夫の耕介が帰ってきたのだ。
「もう寝ていたのか、いいご身分だな。今日の夕飯は何だ?」
「和風ハンバーグとポテトサラダよ。わたしはさきにすませたから」
「なんだよ。自分だけ出来たてを食べて」
 耕介は面倒くさい男だった。
「オレの母親はいつだって出来たての夕食を父親に食べさせていたぞ」
 琴美は食事の仕度をしながらこっそり呟いた。
「おまえなんか虫になってしまえ」
 次の瞬間、ドスンという大きな音がした。耕介のいた場所には緑色の芋虫が転がっていた。大きさは一メートルくらいあった。魔法が効いたようだった。
 耕介は虫になった。胸にある六本の短い脚を駆使してスマホを扱い、どういう理由を言ったのか分からないが、リモートワークで働けるようにして、ずっと家にいることになった。食事はキャベツでよかった。好物の生ハムを食べさせてみたら、てきめんでお腹を壊した。頭に黄色の角を生やして怒っていた。絶え間なく排出される糞は水洗トイレに流せばいいし、手間は人間だったときより格段にかからなかった。セックスをしようと、ベッドに寝ている琴美のうえにのし上がってきたこともあったが、まだ幼虫なので生殖器はなく、どうしようもなく、また黄色の角を生やして怒っていた。とりあえず琴美の隣に寝ることで我慢していた。虫になった耕介は触るとビロードのような肌触りで気持ちよかった。
 時々LINEを使って会話した。
 ――どうしてこんなことになったんだ?
 ――どうしてかしら?
 琴美は魔法のことは黙っていた。耕介が知ったらとても面倒なことになるはずだ。
 そんな耕介もサナギになるときがきた。琴美が買い物から帰ると寝室の壁に大きな薄緑色のサナギがぶら下がっていた。
「これからどうなるのかしら?」
 そんな耕介もついに羽化するときがきた。ちょうど琴美が掃除機をかけているときに、バリッという音がして、サナギが裂けて中からころころした芋虫とはまったく違う鋭角的な生物が出てきた。しかし、しばらくすると羽根がだんだん伸びて広がってきて、耕介は大きなモンシロチョウになった。それは寝室いっぱいを占拠するくらい巨大だった。
 成虫になった耕介は琴美のうえにのしかかってきて、琴美と交尾した。ずっとセックスがしたかったらしい。それが終わると耕介は外に出たがった。空を飛びたいらしい。琴美は二階のベランダの窓を開けた。耕介は飛び出して羽ばたいたが、巨大な身体を浮上させるには筋力が足りなかったらしい。すぐに失速して地面に落ちて動かなくなった。
 琴美は近所の人たちに見つかると大事だと心配しながら表に出た。命の絶えた耕介は人間に戻っていた。
 耕介は『自殺』というふうに判断された。心の病にかかって出社出来なくなった挙げ句自ら命を絶ったと、社会的には判断された。
 琴美は妊娠した。どういう子供が産まれるか心配だったが、至極ふつうの男の子が誕生して琴美を安心させた。耕介の保険金が出て、生活には困らなかった。
 男の子はキャベツが好物だった。
 今日も琴美はあの雑貨屋に行く。ポイントカードはもうすぐ満杯になる。またあのカードをもらうかもしれない。今度はどんな魔法を使おうか。楽しみでたまらない。
(了)