第6回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 ほこり 麻希悠
第6回結果発表
課 題
家族
※応募数289編
選外佳作
ほこり
麻希悠
ほこり
麻希悠
父さんは僕の誇りだった。
正直者で曲がったことが大嫌いな父さんは口癖のように「人生で大切なことは正直に生きること」と言っていた。
普段は優しい父さんだが、僕が嘘をつくと厳しく怒った。
「いいか、慎吾。一つ小さな嘘をつくと、その嘘を隠すためにどんどんと大きな嘘をつくようになる。だからどんな小さな嘘であっても、ついてはいけない。正直に生きることがとても大事なことなんだ」と、まだ五歳だった僕に話した時の父さんの真っすぐな目がずっと心に残り続けている。
そんな真っすぐ生きる父さんは僕の憧れそのものだった。
さて、そんな真っすぐに生きているはずの父さんの車が、どういうわけかラブホテルの駐車場に止まっていた。
「慎吾、どうしたの?」
彼女の希美に肩を叩かれて僕はハッとしながら小さく口を開いた。
「この車……父さんの車だ」
希美は目を丸くして「えっ! だって、お父さんは出張で北海道にいるって……」と言いながら僕を見た。
「……とりあえず、車を止めるね」
なんとか気持ちを落ち着かせて、父さんの車の横に自分の車を止めた。
「え、しかも真横⁉」
「父さんは僕の車を知っているはずだから、ちょっとこれで様子を見ようと思って」
希美にそう伝え、僕達は車から降りてホテルの中へと足を踏み入れた。
空いている部屋のタッチパネルを押し、エレベーターに乗り込む。
「SM部屋だけ埋まっていたね……」
「言わないで。変な想像しちゃうから」
「あ、ごめん……」
気まずい空気のまま部屋へと入り、荷物を置く。
僕はスマホを取り出して母さんに電話を掛けた。
「もしもし。どうしたの?」
電話口からはいつも通りの母さんの声が聞こえた。
「母さん。突然だけど、今どこにいるの?」
「え? 家だけど。なんで?」
母さんは嘘をついているようには思えず、本当に家にいるのだと分かった。
「ちょっと気になってさ。父さんって今どこにいるんだっけ?」
「さっき北海道に着いたって連絡きたよ」
「ありがとう。そうだったね」
僕は母さんに適当なことを言って電話を切り上げた。
「お母さんは何て……?」
希美が心配そうに僕へ声をかけた。
「さっき北海道に着いたよって母さんに連絡していたみたい」
「お父さんが着いたのは、北海道じゃなくて家の近場のラブホテルなのにね……」
さっきから希美の言葉の選び方に悪意を感じるのは僕の気のせいだろうか?
そんなことを思いながら、その日は気が気じゃないまま眠ることにした。
目を閉じて浮かんでくるのは、優しくて正直者な父さんとの思い出ばかりだった。
後日、僕は実家へと帰ることにした。
家に帰ると母さんは「お帰り」と笑顔で迎え入れてくれたが、父さんは露骨に僕から目を逸らし、蚊の鳴くような声で「お帰り」と呟いた。
荷物を置いてくると伝え、自分の部屋に入った。
ベッドに腰をかけて父さんのことを考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
「慎吾、話したいことがあるんだがいいか?」
そう言って、父さんは部屋へ入ってきた。
その表情はまるで何かを覚悟したような顔だった。
父さんの真剣な表情に、僕はハッとした。
そうだ、父さんは本当に嘘をつかない誠実な男だ。あの場所にいたのは何か理由があったのかもしれない。だってあの真面目で誰よりも嘘を嫌う父さんだ。そうに決まっている。
そんなことを考えていると、父さんはポケットからおもむろに一万円を取り出し、僕の手にぎゅっと押し付けた。
「これで……な? な? ほら、な?」とだけ言って、「じゃあ、よろしくな!」とまるで汚れを知らない子供のような笑顔を僕に向けて部屋から出て行った。
僕の中で誇りだった父さんはただの埃になった。
(了)