第25回「小説でもどうぞ」佳作 幽霊に会いたくて 酔葉了
第25回結果発表
課 題
幽霊
※応募数304編
幽霊に会いたくて
酔葉了
酔葉了
大手町にある銀行本店の食堂の片隅――。今、私は一人で遅い昼食を摂っていた。
少し前までは、ここから大手町の高層ビル群を見るのが好きだった。まさに自分が金融界の中心にいることに気づかせてくれるからだ。あの頃の私は女性としても輝いていた。でも今は違う。正直、食欲はなかった。ただ生きるために無理やりに食糧を胃袋に詰め込んでいるだけ。周りの行員には、今の私は頬がこけ、髪を振り乱した鬼婆のように見えるだろう。それは自分でもよく分かっている。ただ、それをどうにかしようという気力がない。大きな溜息が出るだけだ。
この食堂では和食、中華、イタリアン、カレーなど、好みの食事を選択できる。私は今パスタを食していた。なりふり構わずと言いつつ自分の好みをちゃっかり選択していることに気づき、そんな自分を笑いたくなる。
「でさあ、二十階の倉庫の話、聞いた?」
「何それ?」
二十階の倉庫、という気なるワードが耳に飛び込んできた。隣にはお喋り好きそうな女子行員が二人座っている。
「最近、出るんだって……」
ひそひそ声だけに余計に聴き耳を立ててしまう。
「出るって、まさか幽霊?」
そうなのよ、と言わんばかりに一人が大きく頷いた。
「半年前、営業部の男性行員があそこで首を吊ったでしょ? その彼が出るらしいよ」
「あー、その人。名前だけは知っているけど、上司からひどいパワハラにあってたってね。毎日毎日、いびられてたって。可愛そうに」
「今どき、そんなパワハラなんてねー」
「上司を相当恨んでるってよ」
まさか、ショウジのこと……。私は言葉を失った。あの少し頼りげのない眼、女子のような細い指先、華奢な肩を思い出す。彼のことをこんなところで知るなんて。私はもっと詳細を聞きたかったが、それはやめた。
まさに彼がこの世にいなくなってから、私の人生は百八十度変わってしまった。毎日、会っていたのに、私には何も言わずに急に彼は逝ってしまった。それは裏切り行為というほかない。私はショックのあまり仕事に手がつかず、やる気を失い、体調を崩し、今の閑職に異動させられた。
二十階の倉庫は彼が最期を迎えた場所だ。聞いてはいたが、そこに行こうなど今まで思いもしなかった。そこに行けば彼に会えるということか……。私に恐ろしいという気持ちはない。むしろ逆だ。彼に会える、そう思うと急に力が
周りの行員は定時になるとどんどん退行していく。私だって通常はそうだ。だが、今日は違う。今夜こそ、あの倉庫に行くのだ。あれから更にショウジの噂を集めた。どうやら自殺したときと同じ金曜日の夜九時以降になると倉庫内を
彼にはどうしても会って伝えたいことがある。黙って私を一人にするなんてあまりにひどい。最後に帰ろうとしていた上司が居残っている私を怪訝そうに見ている。
「仕事……残ってたっけ?」
「い、いえ。今夜は友達とちょっと待ち合わせをしているので……。すみません。すぐに帰りますので……」
「そうか……。あまり遅くならないようにね」私の言葉に上司は頷いて帰っていく。
時計は九時を過ぎていた。私は覚悟を決め、二十階の倉庫に向かう。この階のこの時間、誰もいなかった。不気味に静まり返っている。私は倉庫の扉の前に立ち、迷わずにその扉を開けた。ギーッと扉のきしむ音が響いた。
電気を点けた。何の気配もない。と、その瞬間――。気配を感じた。が、人ではない。
「ショ、ショウジなの?」私は声を掛ける。
「ひっ!」その影から悲鳴のような声がした。
ショウジだ! 間違いない。どうしても会いたかった。私は一気にヒートアップした。
「おい、庄司! 出て来いよ。逃げるなよ! 勝手に自殺しやがって。お前のせいで上司の私が責任を追及されたんだよ! お陰で閑職行きだよ。お前の出来が悪いせいなんだよ。出て来て謝れよ! おら――」
私の渾身の叫びだ。だが、彼は出現するどころか一瞬で気配を消し去ってしまった。
今日も私は食堂で遅めの昼食を一人で摂る。
「例の幽霊、最近、全く姿を見せなくなったらしいよ。何でだろうね」
例のお喋り二人組だ。
「霊媒師がお祓いしたのかも。成仏したんじゃない」
二人は勝手に納得している。
冗談じゃない。あいつがすぐに消えたから、私は言いたいことをほとんど言えなかった。悔しさが残っている。
ただ、私にも分かったことがある。あいつはもうここには出てこないこと。そして、幽霊になってもパワハラには慣れないということ……。
(了)