第25回「小説でもどうぞ」選外佳作 姫花先輩とぼく 吉川歩
第25回結果発表
課 題
幽霊
※応募数304編
選外佳作
姫花先輩とぼく 吉川歩
姫花先輩とぼく 吉川歩
「遅かったですわね、万里くん」
文芸部の狭い部室に入ると、姫花先輩が微笑んだ。流れるような黒髪ロングで、成績はいつも校内一位、実家は大手商社取締役のお嬢様。マンガみたいなキャラ設定だ。
マンガみたいなキャラ設定はもう一つある。姫花先輩は幽霊なのだ。からだは高校の制服ごと透けていて、シャガールの絵みたいに宙を漂っている。
先輩の足元にはチョコの破片が散らばっていた。ぼくが「お皿も使わないで食べるからそうなるんです」と呆れると、先輩は「ごめんあそばせ」と微笑んだ。
「生きていたときは先輩がこんなにだらしない人だとは思いませんでした」
姫花先輩は三ヶ月前に死んだ。原因は交通事故。先輩目当てだった後輩たちが、みんな部を辞めてしまった頃、ぼくは幽霊になった先輩をこの部屋で発見したのだった。
それ以来、ぼくは放課後をここで先輩と過ごしている。生きていた頃は優等生のお手本みたいな人で、ぼくなんか同じ部なのにしゃべったこともなかった。それが、死んでからはお菓子を暴食したり漫画を読んだり本棚の上で寝そべったり、やりたい放題だ。
「生きていたときは、こんなにだらしない人間ではありませんでしたから」
先輩はチョコをリスのように頬に詰めこんで言った。
「習い事も勉強も、周りの期待に応えようと夢中でした。私の未練は、自分のために時間が使うことですわ」
ぼくには先輩が遠く見えた。ぼくは昔からいじめられっ子で、友だちも少なく、ひとに期待されたことなどなかったから。生きる世界が違うのだ。先輩は死んでるんだけど。
そんな日々がひと月も続いた頃、文芸部は廃部を言い渡された。今では、ぼくが唯一の部員であり、部の存続には部員が五人以上必要だったからだ。大山という顧問の美術教師は事情が事情だけにぼくに同情してくれたけど、見逃してはくれなかった。
ぼくは悩んだ。幽霊になった先輩は部室から動けないみたいだ。廃部になって、部室を明け渡せば、みんなに見つかってしまう。部室で一緒にだべることもできなくなる。
せっかく、仲良くなれたのに。
悩んだぼくは部活を三日休んだ。週明け、久しぶりに部室へ行くと、姫花先輩が「万里くん」と半ばほっとし、半ば怒ったように言った。
「廃部です」
ぼくが目を合わせずに言うと、予想に反して、先輩はあっさり答えた。
「新入部員を探しましょう。ポスターを作るとか。五人くらい、すぐ見つかりますわ」
「ぼくに勧誘しろって言うんですか」
先輩は可笑しそうに言った。
「私が勧誘したら、大変なことになりますもの」
ぼくもムリですよっ、と叫んだ。先輩のようなカリスマならともかく、特技も取り柄もないぼくになにができると言うのだ。先輩は自分勝手だ。自分ができることはだれにでもできると思っている。そうまくし立てると、先輩の大きな目が細くなった。
「それなら、万里くん、私と一緒に死にますか」
先輩が手を伸ばし、ぼくの頬に触れた。あやふやな冷たさに鳥肌が立った。
「こっち側に来たら、好きなだけ、一緒にいられますわよ」
先輩は怒っていた。先輩がなくしてしまった無限の可能性を、最初からあきらめているぼくに。ぼくはうつむいた。いじめられていた頃のみじめな記憶が、蘇ってきた。
「それでも、ぼくにはできないんです」
先輩の声は温かかった。
「できますわ。万里くんは生きているじゃありませんか」
大山先生は親切だった。画用紙やマーカーを貸してくれ、パソコンの画像編集ソフトの使い方も教えてくれた。ぼくは丸二日間、新入部員募集のポスター作りに没頭した。
図案ができると、ぼくは部室に走った。すべてこれからだと分かっていたけど、まずは第一歩を先輩に見てもらいたかったから。部室の扉を開けて「先輩!」と呼んだ。
先輩はどこにもいなかった。夕日が教室に差し込み、カーテンが揺れている。
期待していますわ。そう、声が聞こえた気がして、振り返ったが、気のせいだった。ぼくは、先輩に会いたいと思った。先輩のことを、だれかに話したくて、ポスターをつよく握りしめた。
(了)