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刺さる文章⑥:描写のテクニック

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情景を描いてその中に思いを込める

遠藤周作夫人のエッセイです。「主人が死んじゃうとは、つまりこういう事なんだ」が刺さりますが、これを支えているのが桜吹雪の情景。情景を書くと場面を共有できますから、読み手は「私も見たことある」と思い、情景に託された心情に反応して共感します。人間を描くのに自然をうまく取り入れた例です。

桜吹雪とはよく形容したものと感心するほど、本物の吹雪のように絶え間なく桜の花びらが散っていました。森の中央に置かれたベンチヘ座ったまま、音もなく雪のように降りしきる桜吹雪を眺めながら、二人はしばし忘我の時を過していました。二、三十分経ったでしょうか。主人が「俺もう帰るぞ」と申して立ち上りました。いつまで見ていても眺めつきせぬ風景でしたが、私も腰をあげました。
私はそのあと文京区の千石まで行く用事がありました。(中略)
主人が右側の小径を辿り出した時でした。一段と桜吹雪がはげしくなり、見送っている私の目の前で主人の姿はすっぽりと桜の幕の中に消えてしまいました。「主人が死んじゃうとは、つまりこういう事なんだ」突然襲って来たこの思いと共に涙がとめどなく溢れて来てしまい、私は幼女の様に声を立てて泣いていました。夕暮れになって帰宅してからも、その日の午後に味わった悲しみを一人で持ちこたえることが出来ず、あろうことか私は直接主人にその話をしてしまいました。主人はじっと聞いていましたが、やがて「一茶の句に――死に支度いたせいたせと桜かな――という句があるんだ、辞世に詠んだ三句の一つだ」と呟くように申しました。
思えばあの日以来、私もいつかはこの様な別れの日が来ることを、無意識のうちに心のどこかで覚悟していたのかも知れません。

(遠藤順子「代々木公園の桜吹雪」)

物を出してそこにテーマを象徴させる

「その気になりさえすれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせた」が刺さります。
作者の兄二人は失踪、姉二人は自死していますが、その父親の暗く重い人生が拳銃に仮託され、ずしりと重い。物に語らせた小説の最高傑作。

私は、拳銃の包みを持って炉端に戻ると、それをあぐらの上にひろげてみた。拳銃を手に取ってみると、そんなことはありえないことだが、前よりも大分重たくなっているような気がした。(中略)
弾は五十発もあるのだから、一発や二発、試し撃ちぐらいはしてもよさそうなものだが、一発も撃っていない。一発も撃たないくらいなら、なぜ父親は拳銃と実弾を五十発も買って、それを死ぬまでこっそり隠し持っていたのだろう。
そんなことを考えているうちに、私は、父親の死後、初めてこの拳銃と実弾を見たとき、一瞬のうちに父親のすべてがわかったような気がしたことを思い出した。私は、父親の病気が再発したという知らせを受けて帰ってきて、毎日すこしずつ死んでゆく父親を見守りながら、村の郷士の子に生まれ、町の呉服屋の婿になり、白い子供を二人も持ち、娘たちには勝手に死なれ、息子たちには家出をされた男親というものは、一体なにを支えにして生きるものかと、そんなことばかり考えていたものだが、金庫の底から出てきた形見の拳銃を目にした途端に、父親のすべてがわかったような気がしたのであった。
この拳銃こそが、父親の支えだったのではあるまいか。その気になりさえすれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もあるそういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか。私はそう思ったのだ。

(三浦哲郎「拳銃」)

 

※本記事は「公募ガイド2017年4月号」の記事を再掲載したものです。

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