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第28回「小説でもどうぞ」選外佳作 焦がれる舌 青豆ノノ

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第28回結果発表
課 題

誓い

※応募数272編
選外佳作 
焦がれる舌 青豆ノノ

 あかくて、甘い。いや、どちらかと言うと酸っぱかったような。むとシャキシャキしていたっけ。どうだったか。シャリシャリ? サクサク? 忘れたなあ。
 皮は、どんな味だった? そもそも皮って食うものなのか。ああ、そうだ。皮ごと食べるのが正解だ。ばあちゃんが言ってた。皮に栄養があるんだってな。だからばあちゃんは皮をむかずに、丸ごと輪切りにして皿に盛っていたんだよ。皿に盛られたそれは、種に近い真ん中の部分が星型に見えて綺麗だった。
 ああ……きたきた。この光景を思い出すと鼻の奥に一瞬、かすめるようにあの甘酸っぱい香りを感じるんだ。不思議だよ。匂いと記憶って、どうしてこんなにも密接に繋がってるんだろうな……。

「あんた、独り言すげえな」
 隣で横になっている男が、不思議そうな顔で俺を見ていた。微睡まどろんでいたからか、頭で思っていたことを声に出していたことに、自分でも気づかなかった。
「ああ、俺は独り言を言ってたのか」
「よく朝からそんなにべらべらと」
「独り言。言わないのか、お前は」
「言わないね。そんな無駄なエネルギー消費、したくないじゃん」
 そう言いながら男はもう一眠りしようとしたのか、もぞもぞと体を動かし、俺に背を向けた。
「お前の背中、ホクロだらけだ」
「ああ……。確かに、言われたことあるわ」
「それって、男から? それとも女?」
「どっちも」
「どっちもか」
 半裸の男の背中には艶があった。妙に艶やかなその背中に惹かれ、しばらく視線を沿わせた。男は肌が白いからか、ホクロがやけに目立っていた。男の背に触れてみようと、ゆっくりと手を伸ばす。だけど思い直し、触れなかった。その代わりにホクロを指さし数えていく。
「いち、に、さん……」
「いいよ、数えなくて。なんの趣味だよ」
 男は笑っている。だから背が揺れる。
「ああ。数えられないから揺れるなよ」
 男の肩を押さえた。なんて華奢きゃしゃな肩だ。昨夜は俺に対して、あんなに偉そうにしていたのに。まるで女みたいだ。そう思うと、途端に男が愛おしく思えてきた。これが、今のこの状況を説明できる感情なのかはよくわからない。
「あんたさ、なんの話してたんだよ」
「なにが」
「さっきの独り言だよ」
「ああ」
 男の背から目を離すのは名残惜しかったが、ゆっくりと顔を天井へ向けた。真っ直ぐに両腕を突き出してみる。天井を思い切り押すように、んんっと伸びをした。『こいつに俺の話をして何になる?』いつもの思考が邪魔をする。二人だけの空間で、何を話そうが勝手なのに。『俺の話なんて、誰にとっても必要ない』いつだってこう思っている自分がいる。取り払えない思考の癖に辟易へきえきしているんだ。
「それよりさ、腹減っただろ」
 話題を変えようと、少し声のボリュームをあげた。
「別に。答えろよ、俺の質問」
「ああ……」
 やはりこいつは偉そうだ。偉そうにするのが好きなんだ。そして俺は、偉そうな男のことを好きなのかもしれない。
「俺は一生、林檎りんごを食わないんだよ」
 俺がそう言うと、男はしばらく無言だったが、ゆっくりとこちらを向いた。片腕をくの字に折り、頭を乗せて、じっと俺の片側の頬に視線を当ててくる。
「見るなよ。見られるのは好きじゃない」
「自惚れるな。あんたなんか見てない」
 男はくくっと笑った。
「あんたの過去を見てる」
「見るな。俺の過去も」
「林檎。食べないからどうした」
「別に。どうってことない」
「いいや、あんたはそこにこだわってる」
 男は堪えていたようで、吹き出した。しばらく笑った後、男は言った。
「林檎を一生食わないって、真面目に言ってるあんた、ほんと面白いな」
「そうか。これは面白いのか」
 心底意外だった。子供の頃、弟にしか与えられなかった林檎。いつも美味そうに食べる弟を見ていた。
「なんで食わないんだよ」
「俺にだけ与えられなかったから」
「子供の頃?」
「そう。ずっと、俺だけは」
「今食えば良くね?」
 男は笑った。涙すらうっすらと流している。俺は笑っている男に言った。
「お前に説明して伝わるかどうかわからないけど、そう簡単じゃないんだ。なんというか……」
 誓ったんだ。喉から手が出るくらい食べたかったから。どうせ食べられないのなら一生口にしないと、俺は誓ったんだ。
「大丈夫だ。おれが教えてやる」
 男はそう言うと体を起こした。
「齧りたくなきゃ、舐めればいいんだよ」
 男は半笑いで俺の胸の中心を縦に舐め上げた。
「やめろよ。冷たいだろ」
 男は俺の話など聞かず、俺の両腕を上から押さえつけると、平たくした舌を垂らしながら言った。
「見ろよ。おれはあんたのこと食ってないだろ。舐めてるだけだ」
 そう言ってまた、俺を舐める。舐められながら、目を閉じてみる。男の舌が肌に接するとき、音を立てる。その音を聞きながら、いつしか俺は、林檎の真っ赤な皮を舐めている自分を想像していた。
「おい、舐めろよ」
 男が言う。俺は想像の先に真っ赤な林檎を見た。手を伸ばしてはいけない、口にしてはいけなかったその林檎が憎くて憎くて。悲しかったんだろう。俺はちぎれそうに舌を伸ばした。
(了)