時代小説のいろは5:江戸のカルチャー・時代のイメージを頭に思い描く


江戸のエンターテイメント
歌舞伎は幕府からは悪所と呼ばれ、たびたび規制されました。天保の改革(一八四一年)では中村座、市村座、守田座の三座が一ヶ所に集められ、猿若町と名づけられました(今の浅草)。
当時は照明にろうそくを使っており、火災予防から昼の部しかなく、年に十回ほどしか興行しませんでしたから、前日の真夜中から出掛ける人も。ただ、富裕層は茶屋を通して桟敷を予約しておいたので、当日悠々と観にきました。
寄席は幕末には数百軒あり、出し物は、講談(講釈)の席では軍談、仇討物、侠客物など武ばった話がウケました。色物の席では手品や写し絵もあり、噺家は人情噺、怪談噺、芝居噺などを演じました。なお、落語は戦後になって生まれた言葉だそうです。
相撲は寺社の修復費用を捻出するために境内で行われました。はじめは各所の寺社をまわりましたが、寛政年間からは両国の回向院境内にて。江戸中期には庶民にも人気が広がり、谷風、小野川、雷電が人気。ただし、女性の見物は許されませんでした。
ほか、両国、浅草、上野といった盛り場で見世物小屋がかかり、曲芸、珍獣、奇人変人、細工物(からくり人形など)が人気を博しました。
江戸のハレの日
江戸っ子は春には上野寛永寺、浅草寺奥山、墨堤(隅田川東岸)、飛鳥山、品川御殿山などで花見をしました。初夏には潮干狩り、夏には花火に納涼船遊び、秋には虫聞き、紅葉狩りをしました。
幕府公認の祭りは神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭。この二つには将軍の上覧があり、江戸っ子は豪華絢爛に飾りつけられた山車行列を堪能しました。
印刷技術の進んだ江戸では、井原西鶴『好色一代男』や山東京伝『江戸生艶気蒲焼』、式亭三馬の滑稽本『浮世風呂』、為永春水『春色梅児誉美』などが人気。また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は旅行ブームを生みました。
当時の江戸っ子の旅行は、弥次喜多コンビが伊勢参りに出掛けたように、信仰の旅(が名目)でした。行き先は富士山、大山、伊勢神宮、御岳山、江ノ島、成田山新勝寺、秩父など。ただし、こうした観光地には遊び場があり、そこで買い物をし、料理を堪能し、男性は歓楽街に行って日頃の憂さを晴らしました。
江戸後期は歌舞伎人気から三味線を習う人が増えますが、踊り、茶華道、小唄、川柳などの習い事も人気になります。川柳は一句十六文で応募できる懸賞文芸。
料金一枚二分で三百両当たることもある富くじとともに人気を博しました。
映像が頭に浮かぶか
昭和を舞台に書かれた小説の中にケータイが出てきたら、そんなものはまだないよと思って作品自体を嘘くさく感じてしまうはずです。時代小説も同じで、ある程度は歴史を押さえておきましょう。
もちろん、私たちが書きたいのは小説であって歴史研究ではありませんから、歴史家並みの知識を持っていたり、どの時代にも詳しい必要はありません。
しかし、自分が書く時代、それが江戸後期なら江戸後期のことについては人並み以上に興味を持ち、それなりの知識を得ておくようにしましょう。
時代小説を書くには知識も必要ですが、それより当時の情景が頭に浮かぶことが求められます。場面を書くにあたり、その時代の景色と雰囲気が頭の中に立ちのぼってくるようにしたいものです。
オススメ時代小説
小説の勉強のためにはやはり時代小説を読むのが一番です。
では、無数にある時代小説の中から、江戸時代を舞台にしたものを中心に、比較的読みやすいものをピックアップしてみます。
『たそがれ清兵衛』藤沢周平
『あかね空』山本一力
『本所深川ふしぎ草子』宮部みゆき
『御宿かわせみ』平岩弓枝
『雷桜』宇江佐真理
『天女湯おれん』諸田玲子
史実に沿って書かれた歴史小説もいいですが、秀吉・信長・家康など武将物はすでにやりつくされた感があり、かといって無名の実在の人物を掘り起こすのは初心者には面倒です。
それならばいっそ市井の人物を主人公に、まったくのフィクションにしたほうが書きやすく、設定もストーリーも自由に広げられます。
おすすめ映画・漫画
書く際に、情景が頭に浮かぶようになるためには、映像を見るのが一番です。
それは映画、ドラマ、漫画ですね。今、レンタルビデオで観られる映画の時代劇を挙げてみましょう。
『一命』出演・市川海老蔵
『十三人の刺客』出演・役所広司
『小川の辺』出演・東山紀之
『雷桜』出演・岡田将生
『桜田門外ノ変』出演・大沢たかお
『必死剣鳥刺し』出演・豊川悦司
テレビの時代劇は従来型は消滅しましたが、原作ものは一部残っています(放送は終了済み)。
『JIN ― 仁 ―』原作・村上もとか
『陽だまりの樹』原作・手塚治虫
時代小説においても、単純に分類できるようなタイプのものはウケません。時代物であり、職業物であり、恋愛の要素もあり、ミステリーでもあるという合わせ技は必要条件と言っていいでしょう。
さて、時代小説を読んでも時代劇を観ても、江戸の町、江戸の人々の姿がなかなか頭に浮かばない人に向いた究極のトレーニング法があります。名づけて江戸スケッチ。江戸ものしり図鑑といった本やウェブサイトには当時のことが分かる絵や写真がたくさん載っています。それを自分でも描いてみるのです。
文字の場合は意味だけを汲み取り、頭の中で映像化していないこともあります。
絵や写真で見た場合も細部までは覚えていなかったりします。
そこで模写です。絵にするためには、ちょんまげの太さ、曲がり具合、衣装なら袖の長さ、花魁のかんざし、武士の裃姿、町人の襦袢、裏長屋の戸や壁の具合など、じっくり見ないと描けません。
江戸風俗研究家の杉浦日向子は、
「イメージというには、あまりに明確に、細部までを感じることができるのです。たとえば、ずっと住んでいたことのある土地を思い出すような感覚に似ていて、教科書とかの歴史とは別物です」
(杉浦日向子『大江戸観光』)
と書いていますが、そう思えるのは同氏が漫画家であることと無関係ではないでしょう。
※イラスト:三浦宏一郎
※本記事は「公募ガイド2012年8月号」の記事を再掲載したものです。