7.18更新 VOL.29 海燕新人文学賞、サントリーミステリー大賞、ほか 文芸公募百年史


今回は、昭和55年~57年にかけて創設された、総額2000万円懸賞小説募集(徳間書店)、横溝正史賞、海燕新人文学賞、サントリーミステリー大賞を紹介する。
海燕新人文学賞、サントリーミステリー大賞はもうないが、文学賞の世界に一時代を築いた賞だ。
徳間文庫、賞金総額2000万円で文庫戦争に参入
いきなりだが、文庫レーベルの話。戦前は春陽堂文庫、博文館文庫、改造文庫などがあったが、それらを除き、現存する文庫の中でもっとも古いのは大正3年(1914年)創刊の新潮文庫。ついで昭和2年(1927年)創刊の岩波文庫、そして昭和10年(1935年)創刊の角川文庫、これがトップ3。
戦後、しばらくは新潮社、岩波書店、角川書店の3社が文庫市場を独占していたが、昭和46年に第3次文庫ブームが来る(第1次は昭和2年、第2次は戦後まもなくの昭和24~26年)。1970年代に創刊された文庫は下記のとおり。
昭和45年(1970年) ハヤカワ文庫
昭和46年(1971年) 講談社文庫
昭和48年(1973年) 中公文庫
昭和49年(1974年) 文春文庫
昭和52年(1977年) 集英社文庫、朝日文庫
1970年代はまさに文庫創刊ラッシュという様相だ。
そんな中で新規参入しようとしたらどうするか。知名度を上げる施策が必要だ。徳間書店もそう考えたのだろう。昭和55年(1980年)10月に徳間文庫を発刊するが、これを記念して、総額2000万円懸賞小説募集を行う。入選(当選作)の賞金は1000万円。いや、でかい花火を打ち上げたものだ。当時は世間がざわついたことだろう。あっぱれ!
選考委員は笹沢左保と藤本義一。プロ、アマを問わず、400~600枚の長編を募集した。締切は昭和56年3月、結果が出たのは昭和57年で、入選は池田雄一「不帰水道」だった。同作は、汚職にからんだ殺人事件を逃れて時効に挑む男と、これを13年も追い続ける刑事が主役の本格ミステリー。フジテレビで3時間ドラマとなり、犯人役を平幹二朗、刑事役を田中邦衛が務めた。単発公募だったのは残念だが、文芸公募の歴史に爪痕を残した。
横溝正史賞創設、第10回のとき、鈴木光司「リング」落選
同じく昭和55年(1980年)、横溝正史賞が創設される。現在も続くこの賞からデビューした作家は数知れず、第1回斎藤澪「この子の七つのお祝いに」を始め、第2回は作詞家の阿久悠が「殺人狂時代 ユリエ」で受賞。ほか、柴田よしき(第15回)、山本甲士(第16回優秀賞)、山田宗樹(第18回)、伊予原新(第30回)など今も活躍する作家が誕生しているが、やはり横溝正史賞のトピックと言えば、鈴木光司「リング」だろう。
鈴木光司「リング」は、1990年の第10回横溝正史賞で最終選考まで残った作品。受賞に至らなかった理由は、ミステリー色はあるが狭義のミステリーではないから。第10回の応募要項には「長編ミステリー。ただし広義のミステリー」と書いてあるから狭義のミステリー(つまりは謎解きプロパー)である必要はない気がするが、選考した権田萬治、佐野洋、夏樹静子、森村誠一、角川春樹の5氏が協議した結果だから致し方ない。
この出来事から11年後の第21回のとき、横溝正史賞は横溝正史ミステリ大賞と改称する。賞内容を明示したわけだ。ちなみに「ミステリー」ではなく「ミステリ」と表記すると本格推理(謎解きプロパー)を指すという説があるが、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本版の表記が「ミステリ」だったことから本格推理勢がこれを真似ただけで、全くの俗説。横溝正史ミステリ大賞も本格推理の賞ではなく、今も応募要項では「広義のミステリー」とうたっている。
その後、同賞は18年間、横溝正史ミステリ大賞のタイトルだったが、平成31年(2019年)の第39回から日本ホラー小説大賞を統合し、横溝正史ミステリ&ホラー小説大賞となる。わかりやすくていいが、賞内容だけ変え、タイトルは横溝正史賞のままでよかったかも。日常会話では「今年の横溝正史賞は」とは言っても、「今年の横溝正史ミステリ&ホラー小説大賞は」とは言わないからね。
横溝正史賞は賞金額にも変化があり、創設当時は賞金50万円で、なんとも普通だ。それが平成3年(1991年)の第10回のときに賞金1000万円になる。なんと20倍。その10年後の平成13年(2001年)の第21回のときに賞金500万円になり、さらに22年後の令和5年(2023年)の第43回から賞金300万円に減額されている。
規定枚数も当初は上限500枚だったのが途中で800枚になり、700枚、600枚と少なくなっている。主催も第1回は角川書店、角川春樹事務所だったが、途中で角川書店となり、現在はKADOKAWAとなっている。これは御家騒動の影響もあっただろう。今は角川春樹小説賞を主催する角川春樹事務所が、以前は横溝正史賞を主催していたというのも違和感がある。両方とも自分の会社だったのだから不思議でもなんでもないのだが。
海燕新人文学賞創設、吉本ばなな、小川洋子、角田光代がデビュー
昭和57年(1982年)、福武書店(現・ベネッセ)から文芸誌「
第1回(昭和57年) 干刈あがた「樹下の家族」
第3回(昭和59年) 小林恭二「電話男」
佐伯一麦「木を接ぐ」
第6回(昭和62年) 吉本ばなな「キッチン」
第7回(昭和63年) 小川洋子「揚羽蝶が壊れる時」
第9回(平成2年) 松村栄子「僕はかぐや姫」
角田光代「幸福な遊戯」
第10回(平成3年) 野中柊「ヨモギ・アイス」
第12回(平成5年) 小手鞠るい「おとぎ話」
第14回(平成7年) 藤野千夜「午後の時間割」
特に昭和の終わりから平成の始めにかけての受賞者が充実しており、吉本ばなな、小川洋子、角田光代ってすごすぎる。吉本ばなな「キッチン」は当時、普及しだしたワープロを使って書いた小説で、受賞者は吉本隆明の娘だと話題になったが、今や娘のほうが著名かもしれない。小川洋子はのちに「妊娠カレンダー」で芥川賞を獲り、角田光代は「対岸の彼女」で直木賞を受賞する。角田氏は同時受賞の松村栄子がとんとん拍子で芥川賞を受賞し、内心、穏やかではなかったようだが、そのプレッシャーを跳ね返し、『八日目の蝉』などヒット作を連発した。
この頃、「海燕」は根本昌夫が編集をしており、新人を発掘育成していた。育成というと原稿を赤ペンで真っ赤にし、時には原稿を破り捨てて書き直しをさせる印象があるが(ライトノベルなど一般文芸でないジャンルでは今もそういう編集者がいるらしいが)、根本さんによると「伸びる人は勝手に伸びていく」とのこと。書ける人は書く場を与えればどんどん伸びるそうで、名編集者とは作家を強制(矯正)する人ではなく、書くべきものを一緒に考えて伴走する人を言うのかもしれない。
余談ながら、島田雅彦は昭和58年(海燕新人文学賞でいうと第2回)のときに「海燕」に持ち込みをしてデビューしている。東京外国語大学卒業間際に、知人の知人のつてで「海燕」の編集者と会い、原稿を読んでもらったそうだが、「なぜ応募しなかったのですか」と聞いたところ、「文学賞は発表が半年後とかだから、発表を待っていたら卒業してしまう」とのことだった。卒業してしまったらだめなの?
以下推測。就活せず、在学中の作家デビューを目指していたが、4年生になってしまい、文学賞に応募していたら卒業してしまう、親もうるさい、それで慌てて持ち込みをしたのではないか。
「(編集者も忙しいから)嫌そうな顔してたよ」とのこと。賢明な皆さんは持ち込みせず、応募しましょう。
異業種3社が主催する新しい文学賞、サントリーミステリー大賞
昭和56年(1981年)、サントリーミステリー大賞が創設される(締切は昭和57年、発表は昭和58年)。主催はサントリーと朝日放送と文藝春秋。酒造メーカーが放送局、出版社とタッグを組んで創設した新種の文学賞だった。
サントリーは音楽、美術、演劇の文野でも文化振興に貢献しており、この流れの中で日本のミステリー小説のレベルを向上させ、新しい才能を世に送り出したいという趣旨で始まった。
サントリーミステリー大賞は従来の文学賞とは違っていた。まず、最終選考会を公開で行った。普通は密室で行われる選考会を公開するとは、思いきったものだ。読者賞を設けたのも特徴の一つ。ある意味、選考委員の判断がすべてじゃないと言っているようなもので、これも画期的だった。また、受賞作のドラマ化を前提とした。これにより高額賞金の提供が可能となり、当初500万円、平成5年(1993年)の第11回から1000万円に増額された。
サントリーミステリー大賞では、海外からの応募も受け付けていた。
(応募後、日本語に和訳して選考したらしい)
第7回(1989年) ベゴーニャ・ロペス「死がお待ちかね」
第8回(1990年) モリー・マキタリック「TVレポーター殺人事件」
第9回(1991年) ドナ・M・レオン「死のフェニーチェ劇場」
なんと3年連続で外国人が受賞している。第7回の応募数を見ると、国内からの応募が252編、海外からの応募が104編とかなり多い。プロ野球の助っ人外国人のようなもので、一時のカンフル剤となっただろう。しかし、この3名はその後、日本で活動したわけではないようなので、長い目で見たらどうなのか。日本のミステリーの発展には貢献していないかもしれない。
一方、国内から応募した受賞者はすごい面々だ。
第4回(1986年) 黒川博行「キャッツアイころがった」
第6回(1988年) 笹倉明「漂流裁判」
第9回(1991年) 横山秀夫「ルパンの消息」(佳作)
第13回(1996年) 伊坂幸太郎「悪党たちが目にしみる」(佳作)
第16回(1999年) 高嶋哲夫「イントゥルーダー」
第17回(2000年) 垣根涼介「午前三時のルースター」
第18回(2001年) 笹本稜平「時の渚」
五十嵐貴久「TVJ」(優秀作品賞)
横山秀夫はこの入選後、松本清張賞を、伊坂幸太郎は新潮ミステリー倶楽部賞を、五十嵐貴久はホラーサスペンス大賞を受賞するが、その前にサントリーミステリー大賞でいいところまで行っていたというわけだ。
黒川博行はデビュー20年弱の大ベテランになってから『破門』でまさかの直木賞受賞、垣根涼介は歴史小説に転身し、『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞している。
この賞がなくなってしまったのは惜しい。募集が始まって「賞金1000万円」と騒がれ、受賞者が決まって「すごい人が出た」と噂になり、受賞作がヒットして話題となる文学賞はなかなかない。この賞の企画は異業種3社の酒の席で話が盛り上がって始まったと聞いたことがある。面白い企画はビジネスとは遠いところから始まる。サントリーミステリー大賞も、ロマンと夢と遊び心がなかったら始まらなかった。
文芸公募百年史バックナンバー
VOL.29 海燕新人文学賞、サントリーミステリー大賞、ほか
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VOL.25 小説新潮新人賞、ほか、
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