「おもしろい」の条件1:おもしろいの正体
気持ちが良くて興味がわく
「面白い」は、面(顔面)が白くなった状態、つまり目の前が明るくなった状態を指すそうですが、確かに、何かおもしろいことを見出したときの感覚を言葉にすれば、まさに目の前に光が差したような感じかもしれません。
では、何をもって「おもしろい」と感じるのでしょう。思いつくものを挙げてみます。
- 愉快、痛快
- 個性・期待
- 共感、感動
- 知的好奇心
の「愉快」は「滑稽」と言い換えてもいい「おもしろい」ですね。コメディーやギャグ漫画を読んで「ははは」と笑うようなおもしろさです。
「痛快」も「愉快」と似ていますが、笑いというよりは胸がすく感じ。話がさくさく進み、速い車に乗っているような感覚になる。または鮮やかに謎が解けて頭すっきりといった爽快な感覚です。
2は、何か心惹かれる、期待がもてるというような「おもしろい」。「今時、下駄履きだなんて、おもしろいやつだ」とか、「その企画、おもしろいね」と言うときの「おもしろい」ですね。
3は、数奇な運命をたどった人の話に感動したり、似たような境遇の人に共感したりといった意味の「おもしろい」です。これは笑いとは真逆の感情。物語に入り込んでいるときは泣いたり、怒ったり、哀しく思ったりしますね。
4は、知識を得たり、新しい情報を得たりしたときの「おもしろい」で、これは好奇心とも言い換えられます。学問的な知もそうですが、知っているようで知らない世界を垣間見たときの気持ちもこの「おもしろい」ですね。
これら「おもしろい」は感嘆詞で書くとなぜか「は行」になります。「ははは」「ひぇー」「ふむ」「ぷんっ」「へえ」「ほろっ」とか。読者をしてこのように言わせればしめたもの。そうした箇所がたくさんあれば作者の勝ちです。
興味は読むためのガソリン
では、なぜおもしろくなければいけないのでしょうか。それは書き手のためというよりは、読み手のためです。
つまり、「おもしろい」は、読む人が気持ちよく読み続けられるようにするための配慮、サービスなのですね。
私たちは、作者の計算などは知らずに小説を読んでいますが、文章を読むということは、それ自体、とてつもなくかったるい作業です。文字の意味を理解し、一文の意味を読み取り、前後の文脈まで了解する。そのうえ、小説であれば出来事を頭の中で再現し、ストーリーも追わないといけません。
そんな面倒臭いこと、何か大きな特典でもないとやり続けられませんが、「これはおもしろいぞ、おもしろくなってきたぞ」という興味や好奇心があれば、読むためのガソリンとなってくれるのです。
さらに言うと、「結末に対する興味」という大きな興味だけでなく、途中途中に小さな興味を配して、次のページへ、また次のページへと数珠つなぎのようにして読み手を引っ張っていく。
こうしたサービスがないと、読み手はゴールできないか、ゴールしても相当くたびれ、二度とこの人の本は読まないと思われる危険がありますね。
誰に向かって書くか
ひとつ注意しなくてはならないのは、「おもしろい」と感じるのは人によるということです。たとえば、「深海を舞台とした話」に興味を持つ人もいれば、そうでない人もいるでしょうし、「近未来の世界」が知りたい人もいれば、まったく関心のない人もいます。
書き方にしても、若年層ならあまり描写は厚くせず、ストーリー展開を早くしたほうがいいですが、ある程度、熟達した読み手を対象とする場合、それでは薄っぺらに思われてしまいます。
このように書き方は読者対象によるわけですが、アマチュアの場合、読者より先に選考委員がいます。
選考委員を唸らせるには、こんな世界があったのか、こんな方法があったのかと思わせること。つまり、他を圧倒するオリジナリティーが必須です。
では、選考委員はどんな内容なら唸るでしょうか。人にもよりますが、一つ言えるのは、選考委員の得意分野で唸らせるのは非常に困難ということです。
一方、選考委員が知らない分野なら、「へえ」と思ってもらえる確率は比較的高くなります。もちろん、小説そのものは普通に書けていることは大前提ではありますが。
※本記事は「公募ガイド2012年11月号」の記事を再掲載したものです。