公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第29回「小説でもどうぞ」最優秀賞 持つべきものは 齊藤想

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第29回結果発表
課題

※応募数288編
持つべきものは 
齊藤想

 持つべきものは友だ、と咲美は実感した。
 アパートの部屋の中で一緒に酒を飲み交わしている菜穂子とは、家が近所で、幼稚園からの腐れ縁だ。
 咲美が缶チューハイを傾けると、菜穂子が缶ビールを喉に流し込む。二人になれば、乙女のたしなみなど吹き飛んでしまう。
 菜穂子の目がとろんとしてきた。
「で、それで話の続きはどうしたのさ。彼氏が細かいとか、心が狭いとか」
「そうそう」と咲美は体を乗り出す。
「私のクセが気に入らないんだって。一緒に食事しただけで百年の恋も覚めるとか。もうひどい言いぐさだと思わない」
 咲美は裂きイカを口の中に放り込んだ。思ったより硬い。悪戦苦闘していると、菜穂子が咲美の口に人差し指を立てた。
「あー、それそれ。咲美ってさ、幼稚園のころから、口を開けながら食べるクセがあるよね。そりゃ百年の恋も冷めるって」
 咲美は思わず手で口を覆う。
「しかも、クチャクチャと音を立てるんだよね。まあ、私は古い付き合いだから気にしないけど」
「けど、おばあちゃんは“咲美はおいしそうに食べるね”ってほめてくれたもん」
「あー、そうそう。すぐに子供みたいな言い訳するのも咲美のクセ。素直にごめんなさいすればいいのに」
 菜穂子が豪快に笑う。
「けど……」と反論しそうになって、咲美は口をつぐんだ。仕方なく、咲美は飲みかけの缶チューハイを手に取る。最後の一滴が唇を濡らす。
 とたんに、菜穂子が笑い出した。
「最後のしずくを舐めるのも、咲美のクセだよね。いま始めた貧乏ゆすりも咲美のクセ。女性らしいクセだったら、まだかわいいんだけども」
 咲美は憮然とした。菜穂子に彼氏のグチを聞いてほしかっただけなのに、なぜか咲美が責められる展開になっている。
 ついに、咲美の怒りが爆発する。
「誰にでもクセのひとつやふたつぐらいあるじゃない。そういう菜穂子はどうなのよ。酒を飲むとすぐに泣くし、しょっちゅうなぶり箸はするし」
「そうやって、すぐに話を逸らす。咲美の問題は、クセをコントロールできないこと。いくら愛する人とは言え、目の前で口を開けてクチャクチャされたら嫌にならない?」
 咲美は何も言い返せない。
「何か話していても、すぐに横を向く。口をだらしなく開けてよだれをすする。そりゃ百年の恋も冷めるわよ。悪いクセはそれだけじゃない。さっきから連発しているため息と舌打ち。耳の痛いことを言われると、小指の先で耳の穴をほじっては爪の先を確認する」
 菜穂子は新しい缶ビールを開けた。菜穂子の手にかかると、缶ビールなど一瞬だ。空になった缶ビールが、またひとつ、こたつの上で音を立ててつぶれる。
 菜穂子の目が座っている。その目に、見る見るうちに涙があふれてきた。
「だから、私はダメなのよ」
 菜穂子は急に泣き出した。咲美は、彼女が泣き上戸だったことを思い出した。
「私って見た目はこんなんだし、大酒飲みだし、すぐに説教するし、すぐ泣くし。だからすぐに彼氏ができる咲美が羨ましくて、ついつい酒を飲んで説教して……」
 菜穂子はこたつに突っ伏して泣き続けている。咲美だって、彼氏の相談といいつつ、菜穂子に自慢したい気持ちもあったことは否めない。
 咲美は、菜穂子の背中に手を添えた。
「クセはね、心の安定剤なの」
 菜穂子が顔を上げる。
「それ、だれの言葉よ」
「あんたよ。中学生のときに、菜穂子が私に言ったじゃない。この言葉で、私がどれだけ救われたことか」
「そんな昔のことをよく覚えているね。あ、咲美のクセをもうひとつ思い出した。私が泣き始めると、慰めて励ましてくれること」
 菜穂子は笑った。咲美も一緒に笑う。
 ここは小さな天国ではないか、と咲美は思った。クセのことを気にせず、お互いに我慢することなく、全てをさらけ出せる場所。仕事や人間関係のストレスを、夜空の向こう側に吐き出せる場所。
 菜穂子が新しい缶チューハイを咲美に差し出した。咲美は菜穂子のために新しい缶ビールの蓋を開ける。
 菜穂子は泣きながら説教をして、咲美は耳をほじりながら裂きイカをかむ。
 それでいいのだ。ここは二人しかいない秘密の空間なのだから。
 夜明けまで、まだ時間はある。
(了)