エッセイを書く欲と力5:採用作品に学ぶPart2


考えさせるエッセイ部門採用作
アヤコさんとお通夜:加川真美
後輩の二十五歳のアヤコさんはインドネシアの田舎に留学した。それだけでもアヤコさんは型破りといえば型破りだ。
アヤコさんには齢九十六歳を超えた祖母がいた。祖母は数年前から寝たきりになり、おおむね平穏に過ごしていた。
その祖母が、アヤコさんが留学中に老衰で亡くなった。大往生だった。
そのとき、アヤコさんはインドネシアの地方都市にいた。そのうえ用事があって、アヤコさんはインドネシアから帰ってこられず、お葬式にもお通夜にもでられないことになった。
そこであきらめたら普通だが、あきらめないのがアヤコさんだ。アヤコさんは考えた。自分の祖母を悼む気持ちをなんとかして表現しようと。
最近では東南アジアの地方都市でも、多少大きな町ならばネットカフェがある。
アヤコさんの下宿にもそういったネットカフェが一階にあり、アヤコさんはその二階に住んでいた。
アヤコさんはネットカフェに自分のパソコンを持ち込み、弟さんに連絡した。
スカイプを使って、自分もお通夜やお葬式に出たいと。
両親は反対した。大勢の人が来る葬儀会館でのお葬式に、そんなかたちで参加するのはダメだとなった。
しかし、自宅で行うお通夜ならいいと、しぶしぶ承知してくれたそうだ。
お通夜の当日、弟さんが神妙な顔をしてタブレットを抱え、スカイプをつないだままで、画面の中のアヤコさんは身じろぎもせず参加していた。
タブレットやスカイプなぞ知らぬ親戚のお年を召したおばさま方は、すっかりそれをアヤコさんの祖母の若いころの写真だと思ったらしく、
「ほんに、おばあさんの若いころは今のアヤコに似とるわ」
「アヤコにそっくりやけんね」
「アヤコはおばあさんの血をひいとる」
とひそひそ噂していた。
アヤコさんは、すっかり故人に間違えられたわけだ。
その画面の中のアヤコさんが身じろぎしたのに気がついたおばさまたちは、
「ひぃ。おばあさんの写真が動いとる」
と叫んだ。
会場は大騒ぎ。しかし、事の顛末が分かると、皆、苦笑した。
これからの時代、こんなネット中継でのお通夜やお葬式への参加は増えるかもない。時代の先駆けのようなアヤコさんのお通夜参加だった。
選評
電話の声は、生の声を電気的に再生した音に過ぎないわけですが、しかし、だからといって、それを偽物と言う人はいません。同様に、ネット上の人物の動画も、いずれは生身の人間の存在と同等となる日が来るかもということを考えさせます。ただし、本作は本人の体験ではなく後輩の体験というところが弱い。また、楽しいエッセイ、考えさせるエッセイ双方にかかっているそうですが、そのことがテーマの追究を甘くしてしまったようです。誌面上は修正してありますが、誤字が多かったのも残念でした。
おひとりさま:井川一太郎
数日前、とつぜん、青森県に住む学生時代からの旧友の奥様から電話が来た。
「もしかしてそちらへ主人がお邪魔してませんでしょうか?」
今年七十五歳の後期高齢者の彼が五日前から行方不明だというのだ。まさか東京まで新幹線に乗ってくるはずはないと思ったが、よく聞いてみると、彼はここ一年の間、毎日のように家を抜け出して徘徊し、十度以上無断外泊して行方が解らなくなり、一度はなんと釧路駅前の警察で保護されていたという。
医師は認知症だというので、ご家族が相談して老人ホームへ入れようとしたが、本人は「おらはまだボケてね!」と烈火のごとく怒って暴れるので、困り果てていた、というのだ。
電話を切って、私も考え込んでしまった。私も後期高齢者でボケかかっている。
他人事ではない。どうすべきか……?
新聞などによれば、去年一年間で、行方不明の徘徊老人は一万人以上だったという。そのうちいまだに不明な人も多いし、中には徘徊中、線路に入って電車にはねられたために、遺族が鉄道会社から数百万円の損害賠償を請求されたケースもあるという。
私の知人にも認知症予備軍はたくさんいて、高齢者施設への入居を希望する人も数人いるが、彼らは逆に「金が掛かりすぎるから……」と二の足を踏み続けているらしい。
というより、「そんなもったいないことやめてよ!」と、遺産の減少や消滅を嫌う家族が許してくれないのだ。
かといって、安い公営の特別養護老人ホームは五十二万人の入居希望者待ちで、死ぬまでに入れそうにもないらしい。
……となると、長生きも傍迷惑だし、苦労の元だ。
私もいつかは「おひとりさま」になり、ボケる日が訪れるだろう。
「あるべきや、あらざるべきや……?」
人間は考える葦であり、生きているかぎり悩みは尽きないが、この悩みもまた生きている証なのである。
選評
具体的な実例を出しているところがいい。問題もタイムリー。タイトルの「おひとりさま」は、最近では一人暮らしを指す言葉としても使われており、高齢者エッセイとしては上出来。「ボケたらどうしよう」「ボケないように努力しよう」と結びたくなるところ、「この悩みもまた生きている証なのである」(悩むことでボケを防止したい)とさらっと言っているところがいい。
ただし、字数が800字しかなかったのは、本来なら規定違反。
全体講評
楽しいエッセイでも、考えさせるエッセイでも、読んだ人に感銘を与えるのがエッセイの目的だと思います。笑えるのも楽しいの一つですが、言葉尻だけで笑わせている作品は心に残らない。最後の一行でオチをつけたような作品もみんな失敗している。最後にオチが決まらず、それで書きすぎて墓穴を掘っているものも多数ありました。
考えさせるエッセイは、論文のような作品が目立ちました。医療、老人介護、死などはすでに問題としてあるわけで、それを焼き直しても意味がありません。
オリジナルの体験とオリジナルの着眼点で書く必要があります。
誰かを糾弾した内容もよくないです。
糾弾すれば結論が分かってしまう。考えさせるエッセイを書くなら、考える余白を残してほしいです。
選考こぼれ話 ペンネーム考
ペンネームを使う場合、作品にペンネームを書き、別紙にペンネームと本名を書きます。作品のほうに本名だけ書いて、別紙に「掲載の場合はペンネームで」とすると見逃される可能性大です。
ペンネームはどんなものでもかまいませんが、多少のTPOはあります。考えさせるエッセイに考えさせる内容が書かれているのに、ペンネームが「ゆうこりんラブ」みたいなものだと、なんだかなあという感じになりますね。
※本記事は「公募ガイド2014年8月号」の記事を再掲載したものです。