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第30回「小説でもどうぞ」選外佳作  とリック 酒井一樹

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
第30回結果発表
課 題

トリック

※応募数237編
選外佳作 

 とリック 
酒井一樹

 ある日転校生がやってきた。
「 とリックくんです。みんな仲良くね」
 転校生はぼくの隣の席に座った。青いシャツにグレーの短パンを履いた、ごくふつうの少年だった。
「よろしくね」
 転校生はぼくを見て挨拶したが、その笑顔もすごくふつうだった。
「よろしく、とリック」
 ぼくが言うと、転校生は少し笑ってそれを訂正した。
「 とリック」
「え?」
「 が僕の名前。リックはこっち」
 転校生はそう言って、シャツの胸ポケットを二本の指で広げた。ぼくは背を伸ばし、そのポケットの内側を覗き込む。しかし、ポケットの中身は空っぽだった。
「かわいいでしょ?」
「うーん」
 ぼくははっきりした感想を避けた。前にネットで、こういう見えない友達を持つ人のことを調べたことがある。
「じゃあ君の名前は、 ?」
「そう。 」
「 って、変わった名前だね」
「確かに。同じ名前の人にはまだ会ったことないな」
 そう言うと は笑った。
「 とリック」
「そう。 とリック」
「それじゃ、転校生は二人いるんだ」
「そういうことになるね」
 授業が始まると はマメにノートをとり、真剣に先生の言葉に耳を傾けていた。時々その胸ポケットの中をチラッと覗いて、声には出さずなにか話しかけている。
「君も五丁目の団地? 奇遇だね」
 放課後も と一緒になった。新しい学校はどうかぼくが聞くと、 はやるせなさそうに笑う。
「いつもと同じだよ。父親の都合で転校が多いんだ。もうこれで五回目」
  はそう言ってため息をつく。
「リックは元気?」
 ぼくが気を遣ってそう言うと、 の顔がパッと明るく輝いた。
「リックは今日は機嫌がいいみたい。君のことも、どうやら気に入ったみたいだよ」
「ぼくのことを?」
 振り向くと は胸の前に手の手のひらを掲げて、そのくぼみに見えないそれを載せた。
「ほら、リック。新しい友達だよ」
 ぼくは の覗き込む手のひらを見下ろした。 のまなざしは、間違いなくそこにあるなにかを見ている。
「話しかけてあげて」
「リックに?」
 ぼくが目を上げると はうなずいた。ぼくはしどろもどろになりながら、懸命にそれらしい言葉を探した。
「はーい、リック。調子はどう? 学校の生活にはもう慣れた? この辺は緑も豊かだし、大きな公園もあるし、虫や動物もたくさんいて、きっと君も気にいるんじゃないかな。先生もおおむね良い人たちで、理科の大林先生は癖者だけど、体育の藤田先生なんて最高に面白いし、担任の椎名先生はちょっと頭でっかちだけど、根はきっと悪い人じゃない。だから安心してリラックスして、新しい学校生活を楽しんでほしい」
 ぼくは見えないそれにかける言葉が見つからず、逆に思いついたことをベラベラと喋りすぎてしまった。しかし手のひらから顔を上げると、 は感極まった表情でまっすぐぼくの顔を見ている。
「リックにこんなに優しい言葉をかけてくれたのは、君が初めてだよ。ありがとう。リック、君からもお礼を言って」
  が言うと手のひらの中で、なにかがゴソゴソとうごめく気配がした。それはただ の指の先が動いただけかもしれないし、偶然の光の加減かもしれない。しかしぼくにとっては、リックの存在が急にリアルに感じられた瞬間だった。
「僕とリックは二人で一つなんだ。リックはいつでもそこにいる」
 それ以来、授業中などたまに はリックをぼくに貸してくれた。
 先生の話が退屈なときなど、 は胸ポケットからリックを手のひらに載せて、ぼくの机にコロンと転がして置く。ぼくは の視線を追いながら、どうやらリックが這っているらしい机のあたりを、ジッと見下ろしながら指先で背中のうぶ毛を撫でてやる。最初はその具合や位置がよくわからなかったが、 のリアクションを見ているうちに、なんとなくリックの喜ぶ箇所、心地良い強さなどがそれとなく理解できるようになった。
「こんなにリックを可愛がってくれて、本当にありがとう」
  の屈託のない笑顔を見ているうちに、ぼくにとってもリックは間違いなく、そこに在る存在になっていた。今では手のひらの中にはっきりと、その重みと感触を感じることができる。
 しかし冬休みを終えると、 とリックはもう隣の席にいなかった。
「残念なお知らせですが、 とリックくんはお父さんの仕事の事情で転校しました」
 ぼくはぽっかり胸に穴が空いたようだった。 とリック、二人の友人を一挙に失ったのだ。
 彼らの存在が教室から消えても、授業は変わらずに淡々と続く。退屈したぼくが視線を落とすと、いつも転がっていた机の角のあたりに、リックのそこはかとない気配を感じた。ぼくの視線に気づいたリックは、嬉しかったのか激しく左右に転がって、危うく机の端から地面へ落下しかけた。ぼくは身を乗り出し、すんでのところでその小さな体を手で受け止めると、胸の内側にそっと抱き締める。
「おーい、静かに」
「すみません」
 机を揺らしたぼくをみんなが振り返るが、リックの気配に気づくものはいない。ぼくは手のひらに包んだリックを、そっと覗き込み指先で柔らかに撫でた。ひょっとすると も今ごろ次の学校で、同じような動作をしているのかもしれない。
(了)