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第30回「小説でもどうぞ」選外佳作 トリック@妖夜咄 小玉和多志

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
第30回結果発表
課 題

トリック

※応募数237編
選外佳作 

トリック@妖夜咄あやかしよばなし 
小玉和多志

「一杯くれんか」
 店にふらりと現れるようになった背の高いひょろりとした男は、古い友人を名乗ったが、俺にはとんと記憶にない。
「一杯だけか?」
 俺の軽い嫌味を受け流した男は答えず、ふ、とだけ笑って、大股で決まった席に向かう。
「おっとと。危ない、危ない」
 すっかりお約束になった男の声が響く。床にあるトリックアートの落とし穴に対して、いつも気持ちのいい反応をするせいで、まさか毎度、だまされているわけはないはず。きっとすでにはしご酒で酔っていて引っかかっているのだと、疑うくらいだった。
「ここはいつ来ても、楽しいのう」
 年寄り口調に総白髪、ただよく見れば俺と変わらない三十代後半くらいか。さすがに堅気には思えなかった。驚いた振りがすっかり板についた所作のいちいちを、見覚えのある誰かと重ねてみるけれど、記憶の手札に男の面影を持つカードは見当たらない。
「おすすめをくれ」
 男は好んだカウンターの一番奥、薄暗い席で、いつ火をつけたのか手にした煙草の煙を細長く、いつもの台詞とともに吐いた。
 男の視線を感じつつ、こんなにも特徴的な人物を思い出せない自分を、俺は今夜も持てあましながら、酒の用意をする。グラスに砂糖少々、アメリカンチェリーを五粒ほど入れ軽くつぶし、氷にウィスキーを注ぎ、レモンをしぼった。一粒、飾りとして浮かべる。
「チェリーのオールドファッションドだ」
「甘っ」
「苦手だったか?」
「チェリーは好物だよ。同じものをくれ」
「ソーダで割ろうか」
「それも旨そうだな」
 人の名と顔を覚えるのが得意だと自負するは、客商売に向いていると信じていたのに、飾りのチェリーをひょいとくわえて、うれしそうな目の前の男の正体を暴けずにいる。もう一杯を作りながら、俺はため息をつく。
「もうマジックは、やらんのか?」 
「マジシャンを呼べる金が、ねぇんだよ」 
 ここはトリックアートに囲まれたマジックバーで、もうすぐつぶす。一人親の母がだまされ借金の保証人になり、その後始末に店を差し出すことにした。残った酒を消費するのと、俺の未練を完全に断ち切るために、消化試合のような営業を細々と続けている。
「ワシが見せてやろうか?」
 今までに出演依頼をしたマジシャンに友人と呼べる奴はいない。このなりで忘れるはずがない。いきなりなんだ? 疑問は呑んだ。
「他に客がいればな。俺にだけ見せてもしょうがねぇだろ」
「おぬし、昔から見るのが好きだったろう。やるのは下手で、上達せんかったがな」
 旧友と言うわりに思い出話一つ振ってこなかったのに、どうしたことだろう。怪しくても勘違いにしても、近頃にしては珍しい現金払いは助かっていて、バレるまではと、ありがたく友人のふりを続けていただけの俺は、少なからず面食らっていた。そこに嘘はなかったからだ。にやりとした男は、残りの酒を一息に飲み干す。
 グラスの氷が溶けた底に揺らめくのは小さな青い炎で、くわえた煙草にそれで火をつけると俺に差し出してきた。なすがまま受け取り、禁煙中なことも忘れてつい一口、二口と吸ってしまう。店内の照明が消え、煙草からは白煙ではなく、薄桃色の花びらが舞ったかと思うと、赤く染まって辺りに一面に散った。俺は呆然と見惚れる。プロジェクションマッピングか? いや、店のどこに、大体いつ仕込むんだ? 俺は素直に感動していた。
「すげーな。どうやったんだ?」
「タネも仕掛けもありゃせんよ」
 急に明るくなって左の視力だけが極端に弱い俺は目がくらむ。しかも、興奮しすぎたのか、久しぶりに鼻血が垂れていた。 
「目の傷はワシのために負ったものだな」
 子供の頃、他の子に投げられた石が運悪く左目に当ったのだ。覚えているのは、痛みと謎の悔しさだけで、理由は不明だ。
「今でも鼻血を出すのか。変わらんのう」
 男はいつもに増して楽しげだ。俺は何か、大事なことを忘れているようだった。
「思い出さんでよい。ただ、ワシとした約束だけは、果たしてもらおうか」
 何でも俺の好物だった母のホットケーキとやらが食べたいと言う。メニューにはないからわざわざ粉を用意し、作って食わせる。なぜだか無性に、男の喜ぶ顔が見たかった。 
「馳走になった。旨かったぞ。またな」
 男を見送った俺は、金が木の葉とか別のものになっていないか、慌ててレジを確認する。諭吉が一枚。あいつ、本当にまた来るだろうか。田舎に戻ったら、ウチのボロ屋を何とかして、母と古民家カフェでもやろうか。
(了)