どこからが盗作か4:作文・エッセイ編


作文の盗用はチェックが難しい
文章は、容易に書き換えられる。
〈本日天気晴朗なれど波高し。〉
これを、
〈今日は波は低くはない、いやむしろ高い。天気はいいけどね。〉
と書き換えれば別の文章になる。
雰囲気も全く違う。
これが盗作になるかと言うと、おそらく問題ない。また、これがネット検索で調べられるかと言うと、それもノーだ。
となると、作文やエッセイ公募で盗作疑惑が起きたとき、主催者はどのように対応するだろう。
まず、盗作(類似)にあたるかが確認される。題材や筋は同じでもいいが、表現の部分まで何行も酷似している場合は偶然の一致ではないかもしれない。
そこで応募者本人にも聞いてみる。「アイデアだけ借りるつもりが、文章まで同じになってしまった」とか、「模倣こそ芸術であると考えている」などという答えが返ってくれば入選は無効だ。
しかし、大半は「盗作ではない、似ていると言うのなら偶然だ」という回答が返ってくるだろう。
あとは個別判断になる。
「本人はそう言っているが、普通はここまで似ない」と考えるか、「似てはいるが、別の作品だ」と考えるかは作品にもよるし、主催者の判断にもよる。
引き写さなければ同じにはならない
作文やエッセイの場合、酷似というほど似るケースはまれだ。似たような体験をすることはあるが、内容が同じというだけであれば問題ない。
しかし、表現的な部分で似たところがいくつもあるのであれば疑わしい。どう書くかという言葉の選択肢は無数にあるので、酷似ということはまず起こり得ない。あれば元の作品を手元に置いて、引き写した可能性が高い。
逆に言えば、どんな資料も手元に置かず、作品としてまとめることだけを考えれば、盗作と言われるような作品にはまずならない。
本誌にもあった投稿の盗作
公募ガイド社が笑い話を募集した際、「ブラジャーを盗もうとしている下着泥棒を見つけ、『ドロボー』と言うつもりが、『ブラボー』と絶賛してしまった」という作品があって採用された。
掲載してすぐ盗作と指摘があり、本人に実体験か聞いてみた。元ネタが面白かったので、自分のネタとして投稿してしまったとかなり後悔の様子。常習犯ではないと見てそれ以上は追及せず、謝礼の返還も求めなかった。雑誌やラジオの投稿ではこのようなことはよくあり、防ぎようがない。最終的にはモラルを守ってくださいと言うしかない。
うっかりはともかく確信犯はだめ
誰も知識を持って生まれてくるわけではないので、我ながら「これって誰かがどこかで書いていたような気がする」と思ってしまうことは誰にでもあるだろう。
もちろん、多少は似ていてもいいし、自分でもすっきりしないまま書いてしまうことはある。こういうのは仕方ない。
よくないのは、「気づかれなければいいよね」と思うこと。そういう人は応募する資格がないし、上達もしない。主催者のためにも自分のためにもならない。
表現のマネは使いこなしてから
個性的な作家ほどまねをしたくなる。たとえば芥川龍之介の文章にはよく「畢竟」という言葉が出てくる。それがなんだか格好よくて、「畢竟、人生とは」なんて書きたくなる。
この程度はパクリでもなんでもないが、ことあるごとに「畢竟」が出てくると、覚えた言葉をすぐ使いたがる子どものようだ。
自分の中から自然に出てくるようになるまでは、自分で抑えるのが文章の品格としてもいい。
これはOK?自己盗作
エッセイを書いたとしよう。枚数は原稿用紙2〜3枚。内容は「亡き母が病床にあって最後に食べたいと言ったもの」としよう。
書き終えたあと、「亡き母への手紙」という公募を見つけた。枚数は400字。先ほどのエッセイを下敷きに、生前、最後に食べたいものをリクエストした母親のことを書いた。
比べてみると、テーマも題材もセリフも同じのミニチュア版。これは盗作か。
今は問題ないが、両方入選した場合、著作権者は別になる。法的な解釈はわからないが、主催者としては気持ちいいはずがない。
同じ体験で書いてもいいが、この例で言えば、エッセイのほうは食にウェイトを置き、手紙のほうは母親への感謝を主眼とするなど、同じ題材を使って違う作品を書いたと思ってもらえるようにするのが望ましい。
コピペはどこまで許されるのか
SEO対策(検索したときに上位に来るようにすること)のため、クラウドソーシングを使ってライターに記事を書かせたが、その記事がコピー&ペースト(コピペ)だらけだったという問題が起きたことがあった。
事実やデータについてはコピーしてもいいが、表現までコピーすれば盗用になる。元ネタがわからないように書き換えるのも技術だが、できれば内容をいったん自分の中に吸収し、元ネタの表現の部分については見ずに書くのが望ましい。
ネットからの盗用は中高生に多い?!
インターネットからの盗用事件は、インターネットが普及しだした2000年ぐらいから増え始め、2007 ~ 2010年に急増している。
盗用したとされるのは中高生が多く、コピペによる盗用が多い。
コピペも個人的に資料として収集するだけ(プライベートユース)ならいいが、応募するとなると話が違ってくる。仮に法的には問題ないとしても、オリジナル作品でない作品で応募するのは応募規定に反する。
右記の4例のうち、「詩と思想」新人賞の入選者は、これまでに20回以上の入選歴があり、うち3回が盗作だと言う。
これは確信犯的と言っていいと思うが、ほかの3例はわからない。
「罪になるとは思わなかった」のかもしれないし、「きっとバレないだろう」と思ってやったのかもしれない。
いずれにしても、万引きほどは悪いこととは思っていなかったのだろう。しかし、その点についてだけで言えば、大人もあまり変わりないのではないかと思う。
未成年が関わった盗作事件
高校生福祉文化賞エッセイコンテスト
2010年。優秀賞作品が「2ちゃんねる」に掲載された文章と酷似、コピペ疑惑に。入賞者の高校生は受賞を辞退。
「詩と思想」新人賞
2010年。月刊誌「詩と思想」新人賞に入賞した中学生の詩はネット掲示板の詩の全文コピーだった。受賞を辞退。
プロポーズの言葉コンテスト
2010年。石神の丘美術館「プロポーズの言葉」の受賞作は「鋼の錬金術師」からの盗用。男子中学生の受賞は取り消し。
電子出版された全作品がコピペ
2007年。電子出版されたポルノ小説は95年に安達遥が発表した小説の丸写しだった。盗作したのは男子高校生。
※本記事は「公募ガイド2018年3月号」の記事を再掲載したものです。