第31回「小説でもどうぞ」佳作 ファースト・コミュニケーション 宍戸晴礼
第31回結果発表
課 題
ありがとう
※応募数253編
ファースト・コミュニケーション
宍戸晴礼
宍戸晴礼
東京郊外のK市上空に、未確認飛行体が現れたのは、五月の晴れた日のことだった。形状はそれまで世界各地で目撃されたり、写真に撮られたりしたものとは違い、白い立方体だった。空に浮かぶ、大きな豆腐といったところだ。
白い立方体は高度を下げて、K市内の中学校の校庭に降り立った。早朝だったため、最初の目撃者は一人。授業の準備のために早めに出勤した英語教師の佐々木美沙だけだった。
美沙はフィアット500を駐車場に止め、歩き出したところで違和感を覚えた。目の前のグラウンドの中央に、見慣れない白い物体がある。それは三十センチの高さで浮いており、ゆっくりと着陸した。音は聞こえない。軽く土埃が舞うのが見えた程度だ。
美沙は特に危険とも考えず、白い物体に近づいた。大きさはミニバンくらいで、威圧感がなかったからかもしれない。表面は汚れや傷もなく、艶やかに光っており、美しいとさえ感じていた。
「昨日はなかったわよね」
周囲を回ってみたが、白い壁面があるだけで、入口や扉らしきものは見つからなかった。これは何なのか。まず一つ考えられるのは生徒のいたずら。二つ目は学校側が置いたもの。しかし、どちらも違う気がした。なにより……。
「さっきまで、浮いていたように見えたけど」
美沙の頭の中に三つ目の可能性が浮かんだ。たった今、空から降りて来たのではないか。UFO? 宇宙人?
「まさかねえ」
美沙がこの学校に赴任してから数年経つが、UFOの目撃情報など一度も聞いたことがない。
「先生、これ何ですか」
いつのまにか、美沙の背後に女生徒が立っていた。制服姿で、肩にバッグ、手に水のペットボトルを持っている。
「ああ、竹中さん。おはよう、朝練?」
「はい」
竹中香澄は二年生だ。吹奏楽部の練習で毎日早朝に登校している。美沙は授業で香澄のクラスも担当していた。
「こんなのありましたか」
香澄は興味ありげに、白い物体に近づいた。美沙と並んで立つと、手に持ったペットボトルの底で軽く壁面に触った。するとペットボトルは何の抵抗もなく、壁面の中に入り込んだ。
「えっ、何?」
香澄は声を上げた。ペットボトルは、三分の一ほど壁の中に入り見えなくなっている。驚いた香澄が手を離すと、ペットボトルは吸い込まれて消えてしまった。
「入っちゃった」
「これはヤバいかも」
二人は今まで感じていなかった、得体の知れないものへの恐怖で、後ずさりを始めた。このまま近くにいれば、自分も吸い込まれてしまうかもしれない。
遠くで唸るような低い音が聞こえ始めた。腹に響くエンジン音。さらに音はどんどん大きくなり近づいてくる。数秒後、二人は両手で耳を塞がずにはいられないほどの爆音にさらされていた。
「先生! ヘリコプターが」
香澄が空を見上げて叫んだ。そこには、迷彩色に塗られた一機のヘリがホバリングしていた。そして、ヘリからロープが四本垂れさがると四人の人間が急降下してグラウンドに降り立った。ヘリはすぐにその場を離脱する。
四人は白い物体と美沙と香澄を取り囲んだ。全員がヘルメットと戦闘服を着用し、手にサブマシンガンを持っている。すぐにでも撃てるように引き金に指が掛かっていた。
「動かないで」
リーダーらしき男が言った。美沙と香澄は両手を上げた。
「我々は自衛隊です。あなたたちは?」
「こ、この学校の者です」
「見たところ、先生と生徒のようですが」
「そう。その通りです」
リーダーの言葉遣いは丁寧だが、緊張が感じられる。全く油断していないことがわかる。
「我々は、この飛行体を追ってきました。なぜ、ここに着陸したのですか。あなたたちの所有物なのですか」
「とんでもない。今来たところです」
「私のペットボトルが中に入ったの。どうしましょ」
二人の答えはなんだか的外れだ。銃を持った自衛隊員に囲まれて、気が動転していたからだろう。
その時、ペットボトルが白い物体から吐き出され、乾いた音を立てて地面に転がった。中身が空になっている。すぐそのあと、物体の壁面がきらきらと輝き始めた。赤、青、黄、緑の光が入り乱れて、遊園地のイルミネーションのようだ。その場にいた全員が驚きに動きを止めた。
そして、物体は音もなく浮かび上がった。ゆっくりと二メートルほど浮かぶと、そこから急に速度を上げて真っ直ぐ上昇し、あっと言う間に見えなくなった。
「何だったんだ」
「何でしょうか」
空を見上げていた美沙と自衛隊のリーダーが、顔を合わせて言った。
「我々のレーダーが、突然東京上空に未確認飛行体を感知したのですが、一切の前触れがなかったのです。こんな飛行体は前例がありません」
「やっぱり、あれですか。UFOとか」
「いや、それは、なんとも」
美沙の素直な問いに、リーダーはそうですとも言えず言葉を濁した。
「しかし、突然発光したのには驚きました。何か意味があるのでしょうか。彼らのコミュニケーションなのかもしれませんけど」
「ああ。私、分かった気がします」
それまで黙っていた香澄が、うれしそうに言った。
「ペットボトルが空になっていました。きっと、お水をありがとう、って言ったんですよ」
(了)