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第32回「小説でもどうぞ」佳作 決断 卜部京子

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小説でもどうぞ
第32回結果発表
課 題

選択

※応募数306編
決断 
卜部京子

 白い部屋にいる。自分が誰なのか、なぜこんなところにいるのか記憶がない。壁を叩いても、助けを求めても何の反応もない。外に出る手段を探した。
 八畳ほどのこの部屋には机、照明、ベッド、シャワー、生活に必要最低限の簡素な家具がある。ただ扉がない、監獄に似た密室。
 扉はないがインターホンがある。押すと機械音声で食事か水かときかれた。空腹なので食事と答えると部屋の中央に袋詰めの食糧が落ちてきた。天井を見上げると通気口程の穴があった。外へ繋がっているかもしれない。
 机を中央に移動させ足場にして天井に近づいた。肩幅より狭く体をねじ込むことはできない。覗いても浅いところでくの字になっていて奥が見えない。
 机を引きずり元の位置に戻していると引き出しから金属音が聞こえた。中を確認すると回転式拳銃と弾丸が一発入っていた。怖くなってすぐに引き出しを閉めた。
 外には出られそうにない。外側から、いるはずの家族か友人が行方不明者の私を探してくれるのを祈るしかない。
 住むことを考えてこの部屋に目を向けた。少なくとも生きることに不便はない。食事をしてお腹が満たされると何とかなるかもと楽観的な気分になった。
 
 一週間が経った。時計がないので眠った回数を日にちとして数えている。
 変化のない単調な日々に飽き始めた頃、外から轟音がした。重機の音だ、足に神経を集中すると振動を感じ取れる。場所はこの部屋の真横、そう確信できるほどの音量が響いている。
 誰かが工事をしている。この部屋で目覚めて初めて他者の存在を感じた。
 この機会を逃すまいと工事が続いた三日三晩、声を張り続け、救いを求めた。しかし、徒労に終わった。
 声は枯れ、肉体的にも精神的に疲れた。癒やすものはこの部屋にはない。ベッドの上で横になり、空腹になった時だけ立ち上がり、食事が済めばまた寝た。
 翌日、横の部屋から壁を叩く音と助けを求める声が聞こえた。以前、自身もやった行動にある考えがよぎった。
 工事はこの密室と全く同じ部屋を建設し、その部屋に私のように記憶を失くした人間を閉じ込めている。
 誰が、何の目的でこんなことをしているのか、それは分からない。分かるのは、背景に容易に部屋を作ることのできるほどの力をもった人間が関わっていることだ。
 その人間が金や権力で行方不明者の一人二人有耶無耶するのは不可能なことだろうか。ぬぐい切れない可能性が絶望を生んだ。
 打ちひしがれてしまった私は気力が湧かず、隣の住人に返事はできなかった。

 再び一週間。
 屠殺されない家畜のような日々を続けている。
 また工事の音がする、前回と違うのは距離だ、ちょうど一部屋分音が遠い。きっとまた私のような被害者を生み出しているに違いない。
 聞こえてくるのは重機の轟音と隣人の叫び声。存在しない希望にすがる無意味な叫びが、考えまいとしていた現状に嫌でも目線を向けさせる。自然と涙が溢れてくる。
 突然、工事の音とは反対方向から微かに破裂音がした。位置的に私の前に閉じ込められた住人が発したであろう音。
 この部屋に破裂音が出せるものはただ一つ、初日に発見した銃だ。
 一体何を撃ったのか。同じ境遇に立たされた自分には想像がつく。命を絶ったのだろう。
 私も自殺を考えたことはあった。目的もなく、家族もなく与えられた純粋な「生」は退屈で苦痛なのだ。ただ、食に困らず、危険もなく、限りない価値を持つ「生」が確約されたこの生活に満足しないのは強欲ではないのかと疑問があり、実行には至らなかった。
 その疑問を隣人の選択が払拭した。隣人は生きるだけで満足しないことは強欲ではない、と答えをだし、自分を撃った。精神的疲労により疲れ果てた脳は隣人が出した答えにすがりつき、自分のものにした。
 机から回転式拳銃を取り出し、弾丸を入れた。撃つ直前、冷静になった頭で気がつく。隣人が撃ったのは壁である可能性に。
 ものが極端に少ないのでこの部屋では死ぬことも難しい、現実的なのは絶食による餓死だが、死ぬ前に空腹に耐えかねて食事をとってしまうだろう。もし、「生」そのものに価値を見出したら弾丸を消費して可能性を潰すのは当然の行動。
 自殺の動機である隣人の答えが確実ではなくなってしまった以上、私は引き金を引けなくなってしまった。
 撃つことをやめたあとも私は拳銃を離せずに握り続けた。弾丸を入れるという行為が、返却レバーのない自販機にお金を投入してしまったように、後戻りを許さず選択を強要するように感じられた。
「生」の価値とは、恐らく答えのない問い。ないのなら、いっそのことコイントスで天運に任せてしまいたい。この部屋はそれを許す道具がない。結局、自分の頭で考えるしかないのだ。

 一週間が経ったのだろう。前回より遠くで工事の音がする。その音がシンキングタイムの終了を告げたように聞こえた。
 撃つのは壁か、自分か。私は選択をした方向に銃口を合わせて、引き金を引いた。
(了)