第32回「小説でもどうぞ」佳作 パラダイスはどっちだ? 宮本享典
第32回結果発表
課 題
選択
※応募数306編
パラダイスはだっちだ?
宮本享典
宮本享典
酒も好きだが、ドライブの方がもっと好きだ。
ウイスキーの酩酊感はそれなりにおれを幸せにしてくれるが、愛車スカイラインで疾走するときの風やエンジンの排気音の方がより一層おれを興奮させてくれる。
そんな訳で決まって金曜日の夜はドライブに出掛けることにしている。
しがない二十代のサラリーマンには毎週末飲んだくれるほどのサラリーはないし、おれにはそんな境遇を慰めてくれる女もいない。
それに酒場の混雑は時としておれに閉塞感をもたらした。おれは大勢の喧噪の中より静かな孤独を愛した。
だからおれは、ドライブに出掛けた。
目的地は決まっていない。行く先々のどこかランドマークになるような場所、湖畔なり海岸へ出向くのが多かった。
GPSは使わない。もっとも、最終的な目的地を決めていないのだからGPSなぞなんの役にも立たないのだ。
その日は千葉県東金道路を走っていた。真っ直ぐ行けば九十九里浜だ。
真夏の夜風は時速百六十キロで走る車体に重くのしかかり、ウィンドウを少し開けるだけでその熱波が車内にも入り込んできた。車内に湿気を含んだ夏の重たい空気が入り込んできたが、決して嫌な風ではなかった。
東金道路は高速道路ではないので制限スピードは時速八十キロだ。八十キロもオーバーしているので、捕まれば一発免停か免許取り消しだ。しかしこのスピードの誘惑には勝てなかった。
もうすぐ九十九里浜というところで不意に眠気が襲ってきた。
このスピードで居眠り運転すれば、楽にあの世へ行けるな。そう思った。
次の瞬間、目の前に巨大な閃光があった。
猛烈な勢いで対向車と正面衝突したのだ。
ほんの一瞬の間にスカイラインの前部はひしゃげて爆発し、おれはエアバッグの上を乗り上げてフロンドガラスを突き破って対向車に全身を打ち付けた。
死んだ。そう思った。
が、その場面を通り越しておれの愛車は悠々と事故現場を走り去って行った。
夢か? それにしてはリアル過ぎた。
「夢なんかじゃありませんよ」
いつの間にか助手席に細身のスーツの老紳士がいた。
「あ、あんた、誰?」
おれは前方を見てスピードを落としながら訊いた。
老紳士は優しく微笑みながら応えた。
「どうも初めまして。死神です」
どうも話が見えない。さっきの閃光と衝撃、そして爆発から何かがおかしい。
「おかしくなんかありませんよ。先程、あなたは交通事故で死んだんです」
おれが死んだ? じゃあ今のおれは何なんだ?
「生前の記憶の欠片がまだ残っているようですねえ。大抵の方はそうなんです。ご自身の死をなかなか受け入れられんものなんです」
死んだのか? 本当に死んだのか?
さっきまでのことが夢のようにも感じるし、今が正に夢の中にいるようでもある。
「ええ。そういった認識の話は難しくなりますから、どう考えても結論は出ませんよ。今あるべきこの事実を受け入れることが肝要かと」
さっきからこの爺さん、おれが一言も声を出してないのに、おれの心の中の声と受け応えできている!
「ええ。死神といえども神ですから。読心術ぐらいは心得ていますよ」
「じゃあ、おれはさっき交通事故で本当に死んだと……」
「ええ。その通りです。これから天国へ昇るか地獄へ堕ちるかの審判をします」
急にそう言われても何も準備ができていない。
「大抵の方はそうですよ。それにあなたはまだ若い。世俗に汚れていませんし悪業も積んでいない。ですから天国にでも地獄にでも、お好みの方へご案内しますよ」
そんな簡単で単純なものなのか?
「ええ。深く考えるにはおよびません。所詮、人間は行くべきところに行き、相応しい場所に落ち着くものなんです。地獄だから悪い、天国だから良い、そういうものでもないんです。ただ直感で言い当てたところが本来行くべきところだった、というケースを多く見てきました。あなたのご希望の場所はどんなところでしょうか?」
「葉巻を吸いながらパイオツカイデーなシーアーソイホーのチャンネーを口説ける静かなバーがあるところ」
「それだけ? それだけでいいんですか?」
「ああ。それだけあれば充分だ。おれも男だからね」
「分かりました」
老紳士は右手を上げて指を鳴らした。
「このまま真っ直ぐに進んで下さい」
「で、おれが行くのは天国ですか? 地獄ですか?」
「地獄です」
意外だった。
「どうしてまた地獄なんですか? 天国にもいい女がいるバーぐらいあるでしょう?」
「天国は禁酒禁煙になりました。それに欲のない人間だけが天国へ行けるんです」
「天国って、案外つまらないところみたいですね」
「仏教では無色界と呼び、キリスト教では神が祝福した繁栄と幸福の世界と呼ばれています。ご興味あります?」
「ない」
「では真っ直ぐ車を進めてください」
おれは道なりに真っ直ぐ車を走らせた。ちょっと気になることがあるとすれば、あの対向車のドライバーの安否なのだが、そこはおれが地獄へ堕ちるということで、その後についてはご勘弁いただくとしておこう。
おれは死神と地獄への道を真っ直ぐに進んでいった。不思議と悪い気はしなかった。
これも普段の心がけというものか、案外自分にはこれが相応しい道なのではないかと、ふと思うに至った。
(了)