第32回「小説でもどうぞ」選外佳作 三人の賢者 ササキカズト
第32回結果発表
課 題
選択
※応募数306編
選外佳作
三人の賢者 ササキカズト
三人の賢者 ササキカズト
週末の夜。自宅のマンションで、ひとりウイスキーを飲みながら、俺は考えていた。
仕事も上手くいかないし、彼女もできない。俺は何のために生きているのだろう。
医師から処方してもらった睡眠薬の入った袋を見つめて、これを全部いっぺんに飲んでみるのはどうかと、そんな考えが頭に浮かび始めていた。
突然のことだった。目の前に一人の男が、すーっと現れた。黒いスーツに黒いハット、赤いネクタイに赤いレンズのサングラスをかけていた。
「こんばんは」と、男は言った。
それほど飲んだつもりもないが、幻が見えてしまっているのか。はたまた夢を見ているのか。俺は、知らない男が急に目の前に現れたということを、さして驚きもせずに受け入れていた。
「あんた誰だ? 死神?」
「いや。死神の逆だ」
「逆?」
「そうだな。賢者……みたいなものだ。ちょっとした助言を与えようと、現実世界にやってきた」
「現実世界って言い方をするということは、非現実的な存在ってことか?」
「まあ、そんなところだ。好きに解釈するがいい」
「じゃあ、幻ってことにしておくよ」
「それもよかろう」
「で、俺にどんな助言を与えてくれるんだい?」
「生きるとはどういうことか、その核心に迫る事実を教えてやろう」
「いいね。そんな助言を聞けるなんて、実にありがたい」
「生きるとは……」
「生きるとは?」
「選択の積み重なりだ」
「選択?」
「そう。どのような行為もすべて、選択することであり、生きるとは選択することなのだ」
「うーむ。まあ、そう言われればそうかもしれないけど……」
「しかも、その選択はすべて〈二択〉なのだ」
「二択……」
「そう。例えば、朝目覚めたらまず、起きるか起きないかの二択のどちらかを選ぶ。起きるを選択したら、すぐに布団から出るか出ないかの二択を選ぶ。トイレに行くか行かないかの二択。朝食を取るか取らないかの二択、といった具合だ」
「ちょっと待て。朝食を何にするかは、二択ではないだろう。ご飯にするか、パンにするか、シリアルにするかなど、選択肢はいくらでもあるだろ」
「ふむ。では、君は今朝、何を食べた?」
「今朝は、食パンを焼いて食べた」
「それは、食パンにするか、食パン以外のものにするかの二択なのだよ」
「なんだか詭弁っぽいな。じゃあクイズの三択問題はどうなんだい? 三択って言ってるんだから二択ではないだろ?」
「例えば君が1番の答えを選んだとしよう。それは、1番を選ぶか、1番以外を選ぶかの二択なのだよ」
「うーん……」
「基本的にすべての二択は、選ぶか選ばないか、するかしないかの二択なのだ。行動するかしないか。生きるか生きないかの二択。生きるとは、〈する〉を選んだことの積み重ねだ。わたしが助言したいのは、人間は積極的に〈する〉を選択すべきだということ。より積極的に生きるほうを選択してこその人生なのだよ」
なるほど……。そう思いかけたとき、赤いサングラスの男は、後ろから誰かに両肩をつかまれて闇に消え、入れ替わりに別な男が現れた。同じような黒いスーツと黒いハットだが、青いサングラスに青いネクタイをしていた。
「あんたも賢者なのかい?」
「賢者? あいつがそんなこと言ったのか? あいつはそんな者じゃないが、わたしは、まあ賢者かもしれない」
「で、青いあんたは何をしに来たんだい?」
「もちろん助言だ」
「どんな?」
「生きるとは二択などではない。三択目の選択肢を探すことこそ、生きるということなのだ。今君は、大量の睡眠薬を飲んで人生を終わらせるか、それとも飲まずに生きるかの二択を考えているかもしれないが、二択だと思ったときこそ、三択目を考えるんだ」
「三択目……」
「そうだ。例えば今の君で言えば、生きるという選択肢は一つではない。とりあえず今日は死なずに生きる、心を入れ替えて積極的に生きる、多くは望まず平穏にただ生きるなど、様々な三択目を考えることこそ、生きるということなのだ」
「うーん……」
「選択肢は無限に存在……」
青いサングラスの男が言い終わらないうちに、闇に引き込まれ、また別な男が現れた。これまたそっくりな黒いスーツと黒いハットの男で、サングラスとネクタイは黄色だった。
黄色の男は言った。
「生きるとは一択だ」
「は?」
「選択するなどということは幻想だ。人間は現象にすぎないから、何かを選択していると思っていることも、最初から決まっていることなのだ。君が今まで選択してきたと思ってきたことは、実は別の選択肢など関係なかったのだよ。余計なことは考えず、ただ生きればいいんだ」
「うーん……」
俺が考えていたら、闇からさっきの男二人が争うように現れて、黒スーツの男が三人になった。
「生きるとは二択だ。よりよく生きる側を選択するんだ」と赤いグラサン。
「三択目を探すんだ。三択目こそ生きる指標になる」と青いグラサン。
「選択肢は一択。悩むな。もう決まっている」と黄色いグラサン。
三人の自称賢者たちは、俺をそっちのけで言い争いを始めた。どの話もわかるようなわからないような話で、俺は混乱した。思考が鈍り、だんだん眠くなってきてしまった。目に映る三人の男たちが、ぼんやりとしてきた。やはりこれは夢なのか?
どの男が正しいのか、その選択はまた明日考えよう。選択の先延ばし……。これもまた生きるすべだ。
俺はひとり、寝落ちした。
(了)