第33回「小説でもどうぞ」選外佳作 内なる断罪 いしだみつや
第33回結果発表
課 題
不適切
※応募数275編
選外佳作
内なる断罪 いしだみつや
内なる断罪 いしだみつや
出張先のホテル、寝起きの井岡がスマホに目をやると着信とメッセージが数え切れないほど入っていた。何事かと慌てていると秘書から電話があった。
「あ、先生、やっと繋がった。大変なことを仕出かしましたね!」
不躾な言葉にむっとする。とはいえ、
「まずテレビを見て下さい。民放ならどこでも!」
急ぎテレビを
「だからね‼! 俺はアンタらみたいな――ピー!!」
血の気が引いていく。画面には、自宅前で怒号を飛ばす自分がいた。ただ、怒鳴り声の末尾は甲高い電子音が被せられており、聴き取ることはできなかった。
「本日は予定を変更し、若手気鋭の政治家、井岡議員の不適切発言を特集します」
井岡は驚きのあまり、口をパクパクさせた。
「ご覧のやり取りは、昨日、動画配信サイトに投稿されたものです」
真面目腐った表情で中年キャスターが続ける。
「過激な内容を含むため、サイト上でも一部音声は削除されています。また当番組も視聴者のご気分を考慮し、全内容は報道しません。ご了承ください」
その後、老齢のご意見番が「この先を聞きましたが、とても放送できない
どの局も井岡の暴言を非難していた。何度も同じ動画を見せられているうちに、愛犬ジョンが尻尾を振る
「結局、何と仰ったんですか。それが分からなければ対処できませんよ」
秘書の言葉で我に返る。
「酔って覚えてない。門前で急に話しかけられた気もするが、相手が男だったか女かも……」
記憶を辿るが、何か不意打ちを受け、誰かに怒鳴り散らしたことしか思い出せない。
「本当にどんな悪口を吐いたかご記憶ない?」
「しつこいぞ!」
「私に言いにくいことなんですよね? 分かっていますよ、先生はイケメンですもんね。我々のような不細工とは違いますよね」
「はあ?」冷めた声音で捲し立てる秘書の意図が井岡には掴めなかった。
「どうせ、『俺はアンタらみたいなブ男とは違うんだ』とでも誹謗したのでしょう?」
「俺は人を見た目で判断したりしないぞ!」
嘘だった。実際、井岡は秘書が醜いと内心小馬鹿にしていたし、政治家になってから控えていたが、「心の美しさは外見に現れる」と昔は風潮していた。
「いいですよ、薄々勘づいていたので。でも、この騒動で愛想がつきました。私は退職させてもらいます」
「ち、ちょっと、このタイミングはないだろ!」
途方に暮れているとスマホが震えた。秘書が考え直したかとスマホに飛びつくと、妻からだった。
「あなた、どういうことなの? 家に報道陣が押し掛けているんだけど」
苛立った妻の声の後ろから喧騒が聞こえ、井岡の心はくじけそうになる。なぜ、今日に限って、弁護士として多忙な妻が自宅にいるのか。
「どういうって、俺だって何が何だか」
「私、分かっていますからね」奇妙な既視感に、部屋の温度が下がるような心持ちがした。
「な、何がだ?」
「例の不適切発言よ。想像がつくわ。『俺はアンタらみたいな口
「い、いや、俺は君のような自立心のある女性を尊敬している」
これも嘘だった。井岡は口達者な妻に嫌気が差し、妻の友人に手を出していたし、「女は家で亭主の帰りを待て」が信条だった。これも妻と付き合い始めて封印していたが、酔いに任せて口走った怖れはあった。
「言い訳は聞き飽きたわ。明日、家を出るから、ジョンの面倒だけよろしく」
「ま、待ってくれ!」
必死に呼び止める井岡を待たず、ガチャンッ――と音を立てて、通話と家庭生活が終わった。床に崩れ落ちる井岡に追い打ちをかけるように、テレビでは妻の弁護士事務所のコマーシャルが流れている。
自暴自棄な感情が膨らんでいくが、呼び出し音が聞こえ、井岡は反射的に電話を取ってしまう。
「困るよ、井岡くん」
声の主は、政界のフィクサーと呼ばれる老人だった。厭世ぶる癖に、裏ではあれやこれやと介入してくる男だ。
「君が言いそうなことは見当がつくがね。どうせ……」
「うるせえ、黙れ、ジジイ! 俺はアンタらみたいな老害と違って忙しいんだ!」
大声を出して電話を投げ捨てると、井岡はベッドに突っ伏した。
三日後、井岡議員の辞職ニュースを見ながら、例の動画を投稿した人物は「天罰が下されたのだ」と感動していた。差別的発言を見逃さず、サイトに投稿したり、テレビ局の友人に動画を送り付けた甲斐があったというものだ。
ただ、どのテレビ局や新聞社にも、電子音を設定する前の動画は見せていないのに、どうやって発言内容を知ったのだろうと訝しんだ。あまりにも非道な中身だったので、他人と共有するのを
さりとて、あの議員が度し難い罪人なのは間違いない。あんなに
人類は皆、愛護の心で繋がっているべきなのだ。無駄に派閥を
「許せないよな。『俺はアンタらみたいに猫派じゃないんだ』なんて」
猫がでかでかとプリントされたシャツを着た投稿者は、愛猫を撫でながら呟いた。
(了)