第35回「小説でもどうぞ」佳作 吸血鬼はお助け名人宇田川千鶴子
第35回結果発表
課 題
名人
※応募数234編
吸血鬼はお助け名人
宇田川千鶴子
宇田川千鶴子
近くでチリチリと音がしている。神社の床下で寝ていた僕の指の先に草の感触があった。
ヨイショと体の向きを変えたら、オレンジ色の雲が遠くまで続いていて見惚れていると、鳴っていたチリチリが僕をせかす。
「やっと起きたよ、言いたくないけど、もう夕方だよ。栄養くださいよ。オレたち、ご主人様の腹の中で二日もずっと待たされているんですけど」
「わかっています、すみませんね」
食道までよじ登って催促にきた遺伝子の親分は、子分たちに言う。
「お前たち、上向いて口開けていような。何かしらは落っこちて来そうだから、このまま待とうな」
そう言いながら親分は、僕の空っぽの胃袋に向かって言い聞かせ、続ける。
「乙女を探すのなんか諦めなよ。だいたい勝率的に低いでしょ。それに純正はこっちが慣れてないからさ、若い子たちなんてパニックになるよ、危ないって。代替品でいいよ」
吸血鬼の末裔の僕は、もう自分の血筋を消したくて、太陽の光を浴びたり神社仏閣を根城にしたり、黒にんにく問屋で働いたりしても、灰にも幽霊にもならなかった。先祖の努力で体質改善とハイブリッド吸血鬼に進化したせいか、食事は雑穀も少しいけるようになったし、深夜に忍び込む病院の輸血パックをストローで補充したり、コンビニのカロリー液を盗んだりしている。家系って自然淘汰で廃れてしまえばいいのに、ご先祖様は続ける気らしく、僕を解放してくれない。栄養を待っている遺伝子達に希望を持たせたいけれど、自分の年齢だってわからないままだし、跡取りって切実に大変なんだから。
盗みばかりやってられないから、テカっとした黒髪と細身の背広にマントを翻らせて渋谷の並木橋辺りを歩いていれば、一日に数人が僕をからかって近寄ってくる。その内に物好きと言うか、傍にいてくれればいいと言う女性客が不思議ときて、ビルの屋上に誘って悩み相談のお相手をして、お金を頂いている。連絡はビルの空き部屋の郵便ポストを使う。
実は僕は会話が苦手で、聞くだけのホストの立ち位置で寄り添う。屋上のフェンスに寄りかかった女は、煙草を吸いながら話し、静かに時間が過ぎて行く。
今夜のお客は、歩道橋の下で僕を見つけてくれた痩せた女性で、透けたブラウスの上からでも血管が浮き出ているのが見えていて、僕は奥の歯まで見えるほどに口はめくれ、犬歯も震えるしで、おまけに月が発光してくるとまずいなと焦っていた。すると、
「わたし、一度も男の人と恋愛したことがないの、ずっとひとり」
瓢箪のような曲線の体がくねってきた。
〝話を聞くからね。僕はね、あなたのお役に立ちたいと思っております〟って近づいて伝えると、糸のような眼が潤み、素足に白いサンダル履きの二十過ぎたばかりの彼女は、恥ずかしそうに言った。
「誰かに、カラダを触ってもらいたいの」
わかりました。じゃあこうしましょうと、僕はやさしく正面から抱きしめた。彼女はびくっとしてから、気持ちいいと言い、両手を廻して来た。生きるのに精いっぱいの僕も、同じ気分になっていた。
「まだ、したいことがあったら言ってみて」
彼女は、ピン久色になった頬を僕に向けて、生き返りたいと呟いた。
そうだよね、やっぱり。僕を見つけたもんね、なんでも叶えてあげたい。
「生き返ったら、ハイヒールとバッグと服を渋谷のパルコで買って、西村のフルーツパーラーで、横に長いガラスの器に盛ったパフェが、食べたかったな」
「それなら今から行こう、ここから歩いて行けるから」
「ほんとに? でもあなたはとても痩せていてお腹もペタンコだから、私の血液で良かったら、どうぞ召し上がって。それから行きましょう。私、処女ですよ」
「いいの、いいのかなあ。じゃ、ちょっとそこのベンチに行こうか。うわあ、どれも細い血管だなあ、食いちぎらないように歯の先で刺してからほんの少し吸うね」
彼女を膝に乗せ、横抱きに抱えて体を被せると、名も知らない人は微笑んだ。
「あ、チクっとした、あ、体がスッとして来たわ、あら、まだ止めないでいいですよ、存分にしてください。誰かのためになるっていいものですね。それにあなたは私の身体を抱きしめてくれている。一番の願いが叶っています。あの、痩せた胸ですけれど手を置いてくれますか、ありがとう。それから、それから、あなたの歯型を私の首に残してください。向こうで誰かに見せびらかしたいのです」
噛まずに、細い首に唇を強く当てると、赤い花びらのような模様がついた。
「眠くなってきました。このままかもしれませんから言っておきますね。あなたは気持ちよく人を旅立たせる名人かもしれません。会えてよかった」
親分が食道の下から声をかけてきた。
「家を守るってのは、辛いですね」
僕は干からびた彼女の体を抱きしめ、両手で目の高さまで捧げ、そのままビルの屋上から手を伸ばし離すと、一枚の布のようにひらひらと漂っていたが、やがて夜に紛れてしまった。
(了)