第35回「小説でもどうぞ」選外佳作 渡辺橋のヨシさん 若林明良
第35回結果発表
課 題
名人
※応募数234編
選外佳作
渡辺橋のヨシさん 若林明良
渡辺橋のヨシさん 若林明良
堂島川と土佐堀川に架かる橋にはむかし、浮浪者がいた。警察はいちいち追い出したりしない時代だった。ふたつの川に挟まれた中之島に俺の私立の小学校はあった。家の最寄駅から三つ目が大阪駅で、改札を出て学校まで三十分を歩いた。
ひとりで行かせるなんて危ない、私が学校までついて行くと母は父に訴えた。が、男の子は何でも早くにひとりだちさせるべきとの彼の方針のために、入学式の翌日から俺は社会の厳しさを味わう羽目になった。
それがよかったのだ。おかげでヨシさんと親しくなれた。母が一緒ならヨシさんに近づくこともできなかっただろう。
ヨシさんは渡辺橋にいた浮浪者である。雨や雪じゃなければ朝と夕、茣蓙に座り、文庫本を読んでいた。藁半紙をホッチキスで留めた自作の薄い詩集を、五十円で売っていることもあった。
死んだように寝ている他の浮浪者が襤褸をまとった、そばを通ると鼻を刺す臭いが襲ってくるいかにもそれらしい風体であるのに比べ、ヨシさんは小ざっぱりしていた。多少汚れてはいるが、父と同じようなシャツを着て、茶色いズボンを履いていた。
夏の日差しがきつい時期は日傘をうまいこと設置して瘦身をすっぽり収め、寒い時期は黒いコートをはおっていた。ヨシさんは白髪混じりの髪をきれいに刈り、髭も剃っていたし、たまにどこかの銭湯に入っているらしく、近づいても臭わなかった。
「ヨシさん、おはよう」
「おー、俊一に徹、おはようさん」
俊一が俺だ。小学校で仲良くなった徹と大阪駅の改札で待ち合わせ、一緒に行くようになった。渡辺橋でヨシさんに挨拶するのが俺たちの日課になっていた。
「帰りは三時頃やろ。雨ふるから傘いるで」
「ほんまあ、こんな晴れとんのに」
「西からの風が湿ってるからなあ」
ヨシさんが言うんや、ぜったい雨や。彼は天気予報の名人なのだ。今みたいに気象データをスーパーコンピューターで解析するわけではないので、当時の予報は外れることがままあった。でも、ヨシさんの予報は百発百中なのだった。
「この傘、もっていき」
「ヨシさんが困るやろ」
「雨ふる前にテントに帰るから。次に返してくれたらいいで」
近くの公園に浮浪者のテント村があり、うちの一つが彼の家なのだった。
ずっと外にいるので、微妙な風の動きや匂いを感じ取り、天候の推移がわかるのだろうか。始終日光を浴びているために彼の顔は黒く、深い皺が刻まれていた。六十歳くらいにみえるが、本当はもっと若いのかもしれない。
俺と徹以外にも、ヨシさんと喋る子供はたくさんいた。彼の本名を誰も知らなかった。あの人はヨシさんというんだよと、言い伝えのように誰かが教えてくれるのだった。
ヨシさんの詩集を買って読んだが、俺には良さがよくわからなかった。彼は俺たちに宮沢賢治の詩や若山牧水の短歌を教えてくれた。十年くらい前から橋にいるが、素性はわからないと担任が言っていた。
あの年が明けて二回目の金曜日。連休に入る前日の夕方だった。学校の帰り、俺と徹と他数人で渡辺橋にしゃがみ込んでヨシさんと喋っていた。俺たちは五年生になっていた。
「明日から三連休やで。うれしいわあ」
「そうか。わしは毎日が連休や、ええやろ」
「うち、家族でアメリカに旅行に行くねん」
隣のクラスの奴が言った。
「へえ、アメリカのどこ」
「ニューヨークや。自由の女神のてっぺんへ昇るんやで」
うきうきした顔で話すそいつの自慢を、俺は苦々しく聞いた。ヨシさんは遠い目をして、
「せっかくならメトロポリタン美術館もみてきい。ゴッホの麦藁帽をかぶった自画像は怖かったな。みてるうちに、自分の中に黒い影だけの人が立ってる気がしてきてなあ……」
俺はびっくりした。
「ヨシさん、ニューヨークに行ったことあるん?」
「あ、あー、若い頃にな」
ヨシさんがだまった。今から思うと、彼は昔のことをあまり訊かれたくない様子だった。そうして、
「最近、川の魚がぎょうさん上流にのぼっていってるねん。まさかと思うけど、大きい地震がくるんとちがうか」
「えー、関西に地震はこないって」
「ラジオのノイズもだんだん酷くなっとる。それに、小さい地震が頻繁にあるねん。地べたに尻つけてるとようわかるんや。わしの思い過ごしやったらええねんけど」
残念やけどヨシさん外れやで、と俺たちは口ぐちに言い、また来週と、ヨシさんと別れた。連休中、俺と徹はニューヨークなんかでなくゲーセンを自転車で回ったり、互いの家で遊んで過ごした。
そして、休み明けの火曜日。明け方、地面からのものすごい突き上げで目が覚めた。
学校が休みになったのはあの日だけだった。翌日学校へ向かう途上、渡辺橋にヨシさんの姿はなかった。翌日も、その翌日も。
心配になり、皆で公園に行ってみた。地震以来ヨシさんの姿をみていないと、浮浪者のひとりが教えてくれた。
神戸方面に家族がいて探しに向かったのだとか、ボランティアに行ったのだとか、皆で噂しあった。あの金曜日から二十九年がたつ今日まで、ヨシさんの姿をみた者はいない。
(了)