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第36回「小説でもどうぞ」佳作 石を売る 有原野分

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第36回結果発表
課 題

アート

※応募数263編
石を売る 
有原野分

 日曜日の公園。バザーのように露店がたくさん並んでいる中、私はいつものように冷やかし半分、掘り出し物でもないかと歩き回っていた。そのとき、ふとあるお店に目が止まった。そこには小汚い爺さんが、たくさんの小石を並べていた。
 初めて見るお店だったので、私は興味のなさそうなフリをしてそのお店の前を通り過ぎようとした。そして横目でちらと値段を見ると、なんとそこには「1000000円」という見たこともないような値段がつけられているのだった。
「すみません、これって、この石の値段ですよね?」
 つい、訊いてしまった。小汚い爺さんは頷きながら、
「もちろん、そうだ」
 と低くて渋い声で言い放った。
 私はもう一度値札を見た。ゼロが全部で六つ。つまり、この小石は一つが百万円もするのだった。
「あの、これって本当に合ってます? なにかの間違いってことはないですか?」
「なにも間違ってなんかない。これは一つ、百万円だ。どれ、こっちも見てみるか?」
 別に見る気はなかったが、つい頷いてしまった。爺さんは後ろにある箱から、並べてある小石よりも少しだけ大きな石を取り出した。
「これは、一つが二百万する」
「二百万ですか?」
 驚いてつい大きな声が出てしまった。しかし、爺さんは私の声を意に介さず、さらに続けた。
「二百万円だ。さらに底の方には三百万の石もある。どうだ、一つ買ってみないか?」
 私は開いた口が塞がらなかった。なぜならこの爺さんが売っている石は、どこからどう見てもその辺で拾ってきた石にしか見えなったのだ。仮に鑑賞石だとしても、あまりにも高すぎる。
 それなのに、不思議と爺さんは堂々としていた。だから私は、もしかしたら新しい鑑賞石の一つかと思って、もう一度石を眺めてみた。しかし、いくら眺めたところで、石はただの石だった。
「どれ、ちょっと持ってみるか?」
 私は爺さんの言うように持ってみた。その感触も、重さも、肌触りも、紛れもなくその辺に落ちている石と何一つ違いなかった。私は不思議に思ってとうとう聞いてみた。
「あの、どうしてこのなんの変哲もない石が、こんなにも高い値段で売られているんですか?」
 すると爺さんは目をギラっと大きくさせて言った。
「お前には、これがなんの変哲もない石に見えるのか?」
 その迫力に、私はすぐに頷くことができなかった。
「これはな、わしが小さい頃に庭先で拾った、この世界でたった一つの石なんだ」
 なんだか当たり前のことのようだが、なぜかこの爺さんが言うと不思議と言葉に重みが加わるのだった。
「わしの小さな頃はな、ちょうど戦争の真っ最中だった。その日の食い物すら困る毎日で、腹が減って腹が減って、それは惨めなものだった。父は赤紙で戦地に赴くと、ついには帰ってこず、母はそれでも泣く暇もなく朝から晩まで働いてわしたち子供を生かそうとしてくれた。それなのに、空襲の夜に母は家の下敷きになって呆気あっけなく死んでしまった。わしは逃げた。どこまでも逃げた。そして火事が収まって家に戻ってみると、そこにはもはやなにも残っていなかった。この石は、そのときに拾った石だ。わしの家の庭だったはずの場所にあった、世界で一つしかない石だ」
 私はなにも言えずに、ただ爺さんの話を聞いていた。
「本当なら、この石に値段をつけることすらおこがましい。しかし、わしもいつかは死ぬ。そう思ったら、どうにかして戦争の悲惨さを後世に伝えなくてはならないと思い、こうして露店を始めたのだ。いいか、若いの。芸術とは高名な作者が作ったものではなく、人の心を穿うがつもののことを言うのでないのか? それなのに、お前たちときたらいかに安く有名なものを手に入れるか、またはいかに人気があり自慢できそうなものを手に入れるかしか頭にない。ああ、真に情けない」
 私は、もはやなにも言えなかった。
「ここにある石たちは、みんなそんな石ばかりなんだ。たとえばこれ、これはわしが芸術の道に踏み出したとき、記念にそこにある川辺で拾った石だ。よく考えてみるといい。あの川辺にはどれほどの数の石があると思う? それなのに、この石は奇跡的にわしの手によって拾われたのだ。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼べばいい? この世界に一つしかない石を、お前はもっと安く売れというのか?」
「いえ、そういう訳では……」
「分かった。では、特別だ」
 そう言って爺さんは、自分のポケットから更にもう一回り小さな小石を取り出した。
「これはさっきここに来る途中になんとなく拾った世界に一つだけの石なんだが、どうだ、これもきっとなにかの縁、今なら特別に一万円で譲ってあげよう」
 気がつくと私は、一万円札を小汚い爺さんに払っていた。
 その帰り道、私は歩きながら石を眺めた。やはり、その辺に落ちている石を同じだった。それでも、これは私が一万円も出して買った、正真正銘の世界に一つだけの石だった。
 私は石をポケットにしまうと、その辺に落ちているいかにも安っぽい小石を蹴り飛ばした。その音は、なんだか私の胸に虚しく響いた。
 空を見上げると、一筋の雲が流れていた。あの雲も、きっと世界に一つに違いない。
 私はポケットに入っている石を取り出して、その辺に置いてみた。それはやはり何の変哲もない石だった。私は石を拾おうとか悩んで、結局そのままにして家に帰った。私は、石を買ったのではない。私は、あくまで芸術を買ったのだ、と思いながら。
(了)