エッセイでトホホな日をお金にかえる!③


文章はできの悪い再生装置
何を取り立て、どう表現するか
ビデオの場合、撮った映像をダビングしても内容は変わりません。東京スカイツリーを撮影してCDにコピーしたら東京タワーになっていた、なんてことはありません。
しかし、文章の場合、読んだ人が東京スカイツリーを知らなかったなら、「東京スカイツリー」から「空に浮かぶクリスマスツリー」を想像してしまうかもしれません。
また、書く側にしてみても、目に映るものを一から十まで書くわけではなく、ある部分を抜き出して強調したり、逆にある部分は敢えて書かないこともあります。
文脈によって人によって、どこに力点をおくか、どこを厚くしどこを薄くするかは違うということです。
このことを実験してみたのが、下記のイラストと文章です。
最初の原文は、石田衣良さんの短編「十五分」の冒頭を引用したものです。
この文章から、まず、イラストを起こしてみました。
イラストを見た時点で、原文を読んだときに頭に浮かんだ映像と違うと思った人もいると思います。
文章の視点はクローズアップも自在ですが、イラストは平面的で、また原文が省略した部分も再現していますから、だいぶ印象が違うはずです。
次に、このイラストを見て、読者4人に情景を再現してもらいました(イラストではわからない「季節は10月、時間は夕方。横断歩道にはオレンジ色の夕日があたっている」ことは事前に伝えてあります)。
読者4人はイラストの再現を目的に書いていますから、内容が似ている部分もありますが、何を書いて何を書かないか、書くならどう書くかには個人差があることがわかると思います。
文章伝言ゲーム実験
ある文章からイラストを起こし、そのイラストだけを見てまた文章を書くという文章の伝言ゲームをしてみました。
再現された文章は、人によってどう違うでしょうか?
ぼくの座っている席から、JR渋谷駅まえのスクランブル交差点が見えた。十月になって、だいぶ日が暮れるのが早くなっているみたいだ。横断歩道は淡いオレンジ色の縞になり、断崖の端につめかけるように数千という人が待つ四つ角を結んでいる。年齢はいろいろだが、ほとんどは浮きあがるように楽しげなカップルだった。
(石田衣良 著『スローグッドバイ』所収「十五分」より)
上記のイラストをもとに4人の読者に文章を書いてもらうと……?
S.Kさん(北海道29歳)
「しかしなあ……」神無月の東京は、札幌から来た身にはまだ真夏で、そして渋谷の名高きスクランブル交差点を、カフェ二階席から見下ろして、呆れ返ってしまった。
入日はこってりと街を染め、人おびただしく、青信号を待つ一人一人はまるで新印象派の点描だ。愛読書をめくりコーヒーをすすりつつ、街・人・車列のせわしなさに、思わずため息を漏らす。ただ交差点の向かいにどっしりと、(札幌にもある)東急デパートがそびえて、心を和らげてくれた。
S.Kさん(京都府59歳)
窓向きのテーブルには読みかけの本とコーヒー。ガラス越しに渋谷のスクランブル交差点を見下ろすことができる。真正面に大きなビル、その右手に歩道橋。色づいた木々が秋の訪れを感じさせる。
歩行者用の信号はすべて赤。夕暮れ時、歩道は信号待ちをする人たちであふれかえっている。人々の群れの中から一本の横断歩道がまっすぐこちらに向かって伸びている。横断歩道は夕陽でオレンジ色に染まり、その上を泳ぐように車が行きかう。
F.Tさん(和歌山県52歳)
コーヒーを飲もうと、本から顔を上げた。スクランブル交差点の斜向かい、東急デパートの西側の壁は、夕日を反射して輝いていた。
空は一面オレンジ色で、見下ろした歩道も同じ色に染まっている。
左手の街路樹の向こうで、電車が動き出した。駅ビルからは次々と人が吐き出され、交差点に群がっている。今頃は、右手の連絡橋も通行人でいっぱいだろう。車は南北に流れているが、信号待ちは数珠つなぎで、渋滞の始まりを予感させた。
I.Sさん(大阪府53歳)
私は読んでいた本を置き、窓外に目を移した。そこに広がるのは、海外でも有名な渋谷スクランブル交差点だ。某百貨店の大柄な建物をセンターにして、その前を広大な街路がクロスしている。各コーナーの歩道には人の群れが、右へ左へと流れる車を見入るように立っていた。信号がかわった瞬間、この群れが車道にあふれる圧巻の光景は、外国人観光客にも人気らしい。私は信号がかわる直前の交差点を眺めながら、珈琲を口に含んだ。
何もなくてもこれだけはないと:読ませるエッセイの条件
「そうそう」「あるある」と「へえ、そうなんだ」
読むという行為はそれなりに大変なもので、それをさせるわけですから、読者にはそれなりのご褒美を用意しないといけません。
では、どんなご褒美を用意すれば、あなたが書いた文章(エッセイ)を読んでくれるでしょうか。
「読みやすい」
「わかりやすい」
これは大前提。言わば当然のことで、ご褒美には入りません。
「表現や比喩が絶妙」
「文章のリズムがいい」
「題材の切り取り方がうまい」
「目の付けどころがいい」
「構成が巧み」
これも必要ですが、必須というほどの条件ではありません。
読ませるエッセイの条件は、二つ考えられます。
一つは、共感・感動。
書かれたことを読んで、自分のことのように感じる。「そうそう」「あるある」と思う。
もう一つは、新しい何かを与えてくれること。新しい情報、新しい見方などが書かれてあり、「へえ、そうなんだ」と思うようなことが書かれている。すると、つい読んでしまいます。
5月号で募集したエッセイの最優秀作品を見ても、「夏休み期間に生まれた子は誕生パーティーが開きにくいよなあ」と気づかされますし、選に漏れた5作品についても、「へえ、五回も教員試験に落ちる人がいるんだ」「へえ、イギリスの夏ってそうなんだ」「へえ、冷え性って大変なんだな」など、改めて「へえ、そうなんだ」と思わせる内容になっ
ていました。
エッセイに不可欠なのはこうした「へえ」で、「へえ」なくして文章をこねくりまわしても、読ませるエッセイにはなりにくいものです。
※本記事は2015年7月号に掲載した記事を再掲載したものです。