第41回「小説でもどうぞ」佳作 僕の思い出のセーターは のぞみ
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第41回結果発表
課 題
ときめき
※応募数358編
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のぞみ
もう、洋服ダンスの上が限界だ。
新しい服を買ったとき、入れるスペースを確保するために、あまり着ない服を収納ケースに収めていく。その繰り返しをこれまでずっとやってきた。タンスの上にあるケースは十箱になってしまった。もうこれ以上は到底、無理。だから決めた。五箱は捨てるんだと。
新しいケースから確認していく。一箱ずつ、服を取り出し、床に並べていった。博多旅行で買ったトレーナー、初期のフリース、ああ、これは甲子園で買った掛布のTシャツ。……これはもういらない……これはいると、分別。服を手に持つごとに懐かしさが増していく。
最後の箱に辿り着く。防虫剤は入れ替えてきたものの、四十年も取り出していない。中身は僕が二十代のときの衣服ばかりだ。ん? あれっ。これは……あのセーター。あったんだ。『ずっと一緒にいようね』彼女のメッセージも残っていた。記憶の糸を手繰り寄せる。
僕は一世一代の勝負を掛けた。今年こそ教員採用審査に受かってみせる。そう意志を強くし、必死になって勉強した。めしを食うときも、トイレに入っていても、どんなに疲れていても死に物狂い。寸暇を惜しんでひたすら教育法規を覚え、試験問題を解き続けた。
狂おしいほどの恋心を抱き、片時も彼女のことが頭から離れなかった。胸が苦しかった。初恋のときよりも、人を好きになった。なんて馬鹿な男なんだろう。告白のために勉強するなんて。たとえ受かったとして、告白したとしても断られるかもしれないのに。それでも構わない。後悔はしたくない。ダメでもいい。大好きな気持ちだけは彼女に伝えたい。
公衆電話の中にいた。合格通知が届いたその日、受話器を持つ。体中の勇気を掻き集め、震える指で番号を押す。極度の緊張で、心臓の鼓動が耳まで響いてきそうになる。
彼女、出てくれ……、祈った。お父さんや、お母さんでないようにと。ルルルル、チャ。
出た。「はい」彼女の声らしかった。一応確かめる。
「あの、僕は……」
「あっ、わかります」
「ちょっと今、時間いいですか?」
向こうは、黙った。なんだろ。早く返事してくれ。やにわに不安になる。
「なんですか?」
心臓が限界。もう、喉から出てきそうだ。勇気をふりしぼり、用意していた台詞を置く。
「付き合ってくれませんか」
僕の声は上擦っていた。膝下の震えが止まらない。
また間。今度は長い。だめか。だめなのか。何か言ってくれ。
「付き合うの?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって……好きだから」
「どこが?」
「顔だけど」
「顔なの?」
「そう、顔」
向こうはクスッとした。
十二月二十四日。彼女と待ち合わせした。国道は予想以上の渋滞であった。十分で車が数メートルしか進まない。昭和の終わり、携帯もないその時代。連絡の取りようがなかった。「早く行け!」握るハンドルが汗ばむ。気ばかりが焦る。けれど、どうしようもない。
午後六時の約束が、着いたのは二時間遅れの八時。彼女は、真っ暗な大学の校門前で体を震わせていた。
「ごめん。渋滞で」
「ううん。でも、お家に電話しちゃった。心配だったから。そしたら一時間前に出たって、お母さんが」
彼女の瞳は潤んでいた。
「ごめんな。こんなに混むとは思わなかったから」
「でも、よかった。会えて」
イブの街。肩を寄せ合う二人。予約していたステーキ屋で肉を食い、プレゼント交換をした。僕からは彼女に指輪を贈った。彼女からは紺色のセーターを。
それがこのセーター。四十年ぶりに着てみた。なんだか着心地がいい。タグで確かめるとウール100%の表示。あいつ、いいものくれたんだ。防虫剤の匂いが鼻につんときた。
手洗いモードで洗濯。一階のベランダに平置きで乾燥させていた。
「あれ?」掃除中の妻がそれを見付けたようで、どたどたとやってきた。「どうしたの? あのセーター」
眉をしかめ、「ああ、ちょっとね」と返す。
「へえ……」それ以上の問いは重ねず、踵を返し、掃除機をガーガーと乱暴に動かしていた。
収納ケースの続きに取りかかる。このジャージ。少年サッカーを教えていたとき、ネーム入りを一緒に作ったやつだ。懐かしい。思い出の絵が浮かび、そのたびに手が止まり、捨てるか迷う。これは……これは……でも整理しなきゃ。なんとか五箱に収めることができた。
次の日、あのセーターはすっかり乾いていた。
「やっぱり綺麗。もしかしてだけど、だれかからもらったの?」
妻がセーターを
「へえ、なんだか昨日から怪しい。付き合ってた子からもらってたりして。当たり?」
「当たりだ!」
「へえ……、そんな人、いたんだ」
妻は訝しそうな顔を寄越した。首を傾げ、ふふ……。
イブの日、きみからもらった思い出のセーターじゃないか、と言おうかと思った台詞を僕は呑み込む。しばらく教えてやんない。
(了)