第41回「小説でもどうぞ」佳作 濃紺の夜に包む 永瀬櫻子
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第41回結果発表
課 題
ときめき
※応募数358編
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永瀬櫻子
追いかけてくる夜から逃げるように、新幹線が駅のホームに滑り込む。東京から約二時間。山積みの仕事に目を瞑り、半休を取って、香織は夕暮れの京都駅に降り立った。しんと冷え切った空気に包まれる。まだ雪は降っていない。
香織は同期や少し上の男性社員たちを差し置いて、若くして管理職に抜擢された。特段、仕事ができるわけでも、出世欲があるわけでもない。思い当たるのは、女性が活躍するために、女性管理職の比率を増やすという会社の目標数値だ。社歴がそこそこあり、産休も育休も取らずに仕事の経験を積んでいて、独身で時間の融通がきく女性。我が社の上層部の安易な女性管理者像に、香織が嵌まっただけだ。お陰で、苦労している。男性社員からは、女性というだけで出世できるなんて羨ましい、なんて嫌味を言われた。結婚して産休、育休を取り、復帰した女性社員からは、子育てをしながら仕事もしているのに、昇進できないなんて不公平だ、と不満を言われた。管理職という立場が自分の身の丈にあっていないことは、香織が一番よくわかっている。傷に塩を塗るような言葉たち、慣れない仕事、重くなった責任、心が何度も潰れそうになった。
そんな時、香織は京都に来る。
同じ年の修ちゃんとは、大学二年生の時に参加した震災被災地でのボランティア活動で出会った。ボランティアが終わると、大阪出身で京都の大学に通う修ちゃんと、東京出身で地元の大学に通う香織が会うことはなかったけれど、時々、連絡を取りあっていた。
ある日、就職活動が思うように進まず、行き詰っている香織に、修ちゃんから連絡がきた。採用試験に落ちるというのは、想像以上に体に堪える。それが何社も続くと、まるで自分の存在を否定されているようだ。おまけに、周りの友人たちが内定を取り始めているとなると、尚更だ。だから香織は、たまたま連絡をくれた修ちゃんに辛さを吐露してしまった。すると、修ちゃんから、一言だけ返って来た。
「京都に来たらええやん」
脈略のないその言葉に、香織は惹きつけられた。
新しい年を迎えて、一ヶ月ほど経った日だった。香織は、就職活動を放り出して、白くなった京都の街にやってきた。新幹線の改札口では、一年ぶりに会う修ちゃんが待っていてくれた。
「久しぶりやな」
初めての街、東京では何年も見ていないほわほわと降り積もる真っ白な雪、修ちゃんのどこか柔らかな話し方、打ちのめされる日々を送っていた香織は、ときめいた。京都でリフレッシュして東京で就活を再開すると、どうにか就職先が決まった。修ちゃんは大学院へ進んだ。それから、香織は何度も京都に来た。そのたびに修ちゃんが待っていてくれた。そのうち、修ちゃんは恋人になった。初めて手を繋いだ高倉通り、時間を忘れて話し続けた鴨川デルタ、名残惜しくて離れられなかった京都駅の大階段。この街には、あの頃のときめきが詰まっている。
修ちゃんは、大学院を修了すると、そのまま研究員になった。休みらしい休みはなく、ただでさえ遠距離恋愛で大変なのに、余計に会えなくなった。二人はどんどんすれ違っていった。
今ならわかる。修ちゃんも苦しかったし、どうにかしようともがいていたということを。若かった香織には、二人の現実を受け入れられるほどの度量はなかった。付き合い始めて、五年目、香織は、別れを選んだ。
もしあの時、辛抱強く修ちゃんを待っていたら、きっと今は違っていただろう。自分は人生の分岐点を間違えてしまった。そんなことを思うたび、香織はあの頃のときめきに触れたくなる。マッチ売りの少女のように、幻でも、一瞬でも良いから、夢を見たい。
改札口を出て、人混みをかき分けながら、中央通路を歩いていく。今年も大階段に見上げるほど大きなクリスマスツリーが飾られていた。買い物帰りの家族連れや、海外からの観光客、たくさんの人がツリーの前で立ち止まり、スマホで写真を撮っている。香織もその人たちに混じり、ツリーを眺めた。修ちゃんと、何度も見たクリスマスツリー。もうすぐ一人で見る回数の方が多くなる。あの頃は、煌びやかに見えたツリーが、今はなんだか寂し気に見える。
「香織」
香織は驚いて、声のした方を見た。そこには、修ちゃんが立っていた。あの頃より、少しふっくらとして、白髪もちらほら見られる。思わず駆け寄りたくなったが、デパートの紙袋を持った修ちゃんの左手薬指にきらりと光ったリングが、香織に現実を突きつけた。
もう、この街に来てはいけない。このままでは、あの頃のときめきは輝きをなくし、ただのガラクタになってしまう。過去に戻ることはできない。前に進まなければ。
夜が追い付いてきた。だんだん京都の街が、濃紺に包まれていく。あの頃のときめきはこの夜に包み込んで、そっと心の片隅に仕舞っておこう。
そう心に決めた香織は、翌日の一番の新幹線で、東京の朝へと帰っていった。
(了)