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第41回「小説でもどうぞ」選外佳作 給料日のシャトーブリアン 泉川藻琴

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第41回結果発表
課 題

ときめき

※応募数358編
選外佳作 

給料日のシャトーブリアン 
泉川藻琴

 今日は……。
 今日は何日だ?
 そっと腕時計を見る。そう、二十五日、やっぱり!
 ということは給料日、月に一度の給料日だ!
 篠崎瑞江はPCを広げ、まず最初に会社のイントラネットにつないで、「給与」欄を開けてみた。そして「明細」のタブをタップする。
 銀行振込額、を見てまずはいったん閉じた。続いていなほ銀行の預金口座を開いた。
 入金、入金……。
 あった、あった!
 そこに記された数字が、さきほどの給与明細と等しいことを確認すると、ほっと安堵した。
 まあ同じような顔をしている同僚先輩社員も数多くいるのだろうか?
「そうよねえ」
 瑞江は独りごちた。
 給料日がうれしくない人はいないだろう。だから、今日はみんなきっと浮き足立っている。
「ねえ、瑞江ちゃん、今日、行かない? 女子会」
 予感あやまたず、お誘いの声がした。女子会、て要するに今日はちょっとはめを外しましょ、飲みに行きましょ、ということなのだ。
「う~ん」
 瑞江はちょっとだけ考えるポーズをとった。そしておもむろに、
「今日はちょっと……」
 と口を濁した。
 ちょっと何なのか?
「誰かと待ち合わせかしら?」とか「いや、きょう、あの子、生理?」と一瞬気を回させるのが瑞江のテクニックなのだ。
「だから、気持ちだけいただくわ、ゴメン!」
 そう言って片手拝みするのだった。実のところ、瑞江に待ち合わせて出かけるような素敵な人がいるわけでもないし、もちろん生理でもない。
 瑞江は傍らのバッグにPCをしまうとさっくりとスマートフォンを取り出した。
 表に出るや、早速ある番号をタップした。
「あの、篠崎です、今日六時、空いています? え?はい、一人ですけれど」
 そうやって二、三やり取りすると、やがて満足したような面持ちで、スマートフォンをバッグに戻した。
 瑞江はそのまま駅に向かい、やってきた電車に乗ると、立ったまま窓の外を眺めては眼を輝かせていた。電車は各駅に停まり、十五分ほど、そこで降りると人なつこい商店街をそぞろ歩く。
「こんばんは!」
「ハラダ」と書かれた観音開きの入り口を入ると、いつものように六十年配のシェフがにこりと微笑んで招じ入れてくれた。
「いらっしゃいませ、篠崎様でいらっしゃいますね、お待ちしていました、お席はこちらでございます」
 通された席はカウンターのスツールではなく、いつものように四人テーブルの一角。
「ご注文は?」
「はい、シャトーブリアンのコース、180グラムで」
「かしこまりました。」
 何を隠そう、篠崎瑞江の給料日のとっておきのご褒美は、「ハラダ」のシャトーブリアンステーキ。焼き加減はミディアムレア。この日のために、私はひと月がんばってきた。
 胸のトキめき、高揚。
 ここの肉は、瑞江の知る限り極上の特上、特にシャトーブリアンは得も言われぬ味わい。それだけではない、ここのシェフ兼マスター、そう、玄関で招じ入れたあの六十年配の紳士の接客が天下一品。なんと言おうか、必要にして十分、後味爽やか、と形容すべきか。余計な話は一切しない。それでいて客を飽きさせない心配り。気が付けばここ半年ほど給料日ごとにこの店に来ている。
「シャトーブリアンでございます。どうぞ」
 運ばれてきた肉は、見るからにつややかで、ナイフを入れるやとろけるようにその刃を飲み込んだ。断面はローズピンクが鮮やかで、蠱惑こわく的な肉質が食欲をそそる。おそるおそる口に運ぶ、この瞬間こそがときめきそのもの。
「私って、肉に恋しているのかしら」
 口直しに含んだハウスワインがまた渋みが利いて秀逸だ。
 付け合わせの人参はシャトーにカットしてある。こうすると見栄えはいいのだが、無駄が出る。だがこの店ではそうした野菜の端なども余すことなくスープとして活用しているのだという。
「へええ」
 小耳にはさんだそんな話も、瑞江にとってはとても新鮮に思えた。
「ごちそうさま」
 今日も、今月も、無事こうやって心たおやかにときめくひとときを終えた。
 しかし、ある時から、あの紳士然としたシェフ兼マスターを見かけなくなった。代わりに厨房に納まったのは三十年配の青年だ。
「いらっしゃいませ」
 用意されたのは、カウンター席。これはどういうことか? 同じ店なのに、見えてくる世界が違う。なんだなんだ……。
「なんになさいます?」
 シェフの青年と目線が揃う、いつになくどぎまぎしながら、
「あ、ええ、シャトーブリアンお願いします、180グラムで……ミディアムレアでお願いします。」
「はい、かしこまりました」
 おもむろにシェフは調理にとりかかった。その姿が、なんとなく頼もしい、神々しい。そしてどことなくいつものシェフの面影を感じさせた。
「あ、あのう、いつものシェフは……」
 失礼に当たらぬよう、瑞江は及び腰に尋ねた。
「あ、ああ父ですか、父は、腰を痛めてしばし休養です。で息子の僕が……」
 そう言うと青年は初めてニコリと微笑んだ。
 その所作に瑞江は心が躍った。あら、いやだ。
「私って、彼に……」
(了)