第41回「小説でもどうぞ」選外佳作 鈴木君の黄色いぽわぽわ 高岡有雨
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第41回結果発表
課 題
ときめき
※応募数358編
選外佳作
鈴木君の黄色いぽわぽわ 髙岡有雨
鈴木君の黄色いぽわぽわ 髙岡有雨
「浜口さん、これ、お願いできる?」
私が声をかけると、後輩の浜口さんから黒いもやが立ちのぼる。
「あ、今忙しいよね」
あわてて浜口さんに書類を渡そうとした手をひっこめた。
「すみません、橋本さん」
浜口さんの黒いもやは消えた。あぶないあぶない。あのまま仕事を頼んでいたら浜口さんに恨まれるところだった。
もう外回りに出る時間だ。この仕事を頼める誰か――と、そのとき、ドアが開いて段ボールをふたつ抱えた男性社員が入ってきた。後輩の鈴木君だ。
「鈴木君! 半分持つよ」
浜口さんが席を立ってドアに駆けつけ、段ボールをひとつ持ってあげている。ピンク色のもやを見るまでもなく、上気した顔を見れば浜口さんの鈴木君への思いは誰が見ても明らかだ。
「橋本さん。なにかあればやっておきますよ。もうすぐ出ますよね」
「助かる! この書類なんだけど」
お言葉に甘えて鈴木君に仕事を託し、無事商談に出かけることができた。
私は、人の感情が見える。
もやもやしたものが人にまとわりついていて、もやの色で相手が今どんな気持ちかわかるのだ。物心がついたときからそうだったから、他の人には見えてないと知ったのはずっとあとになってからだった。
イライラしているときは黒。
怒っているときは赤。
悲しいときは青。
恋しているときはピンク。
人によっていろいろだけど、だいたいそう。
機嫌の悪い人は避けられるし、だれがだれを好きかわかるので恋愛のゴタゴタに巻き込まれないように立ち回ってきた。この特殊能力は仕事にも活かせている。商談相手の感情がわかるので押すべきか引くべきかのタイミングがほぼ完ぺきに読める。これは営業にとって有益だ。
そんな私が生まれて初めて感情が読めない人間に会ったのは今年の春のこと。
四月に入社してきた鈴木君だ。
浜口さんがめまぐるしくもやの色を変えるのとは対照的に、鈴木君はいっさいもやを出さない。なにを考えているのかわからないのってちょっと不気味だし、どうやって関わったらいいかわからなくて怖い。怖いからなるべく近づかないように避けているのに、なぜか鈴木君のほうからやたらと近よってくるのだ。
「昼メシ行きませんか」
ほらきた。
じっと目をこらしても、やっぱりもやは見えない。
「いいよ、ごちそうするよ」
「ありがとうございます!」
「浜口さんも」と振り向くと紫のもやをどろどろと噴き出しながらうらめしくこちらを見ていた。紫は嫉妬の色だ。
「午後イチで出張なので行けません」
「そっか、また今度ね」
浜口さんの刺すような視線を背中に浴びて、私と鈴木君は会社近くの蕎麦屋さんに向かった。
「いただきます!」
行儀よく手を合わせてから蕎麦をすする鈴木君。年の離れた上司や、得意先の人にかわいがられるのはこういうところだろう。
「あっ」
鈴木君が小さく叫んだ。思わず顔を上げて、今度は私が叫ぶ。
「えっ」
鈴木君からぽわぽわと黄色いもやがにじみ出ていた。初めて鈴木君のもやを見た。
「見てください」
黄色いぽわぽわをまとった鈴木君が、中が見えるように蕎麦猪口をこちらに傾ける。
濃い色のつゆの中に、刻んだネギが浮いていた。
「ハート型ですよ!」
改めて目をこらすと、半月型に切られたネギが二片くっついて、ハートのような形になって浮いていた。鈴木君は黄色いぽわぽわをまとったままスマホでそのネギを写真に撮っている。
黄色は、ときめきの色だ。
これまで一回ももやを出さなかった鈴木君が、ネギにときめく瞬間を目撃した。
鈴木君はその後も、たびたび黄色いぽわぽわを出していた。いつのまにか私は鈴木君がどんなものにときめくのか知りたくて、彼を目で追うようになっていた。
窓ふきの清掃業者の乗ったゴンドラが下りてきたのを見てぽわぽわして、課長の靴下についているオコジョの刺繍にぽわぽわしていた。
あるときはコピー機の前でぽわぽわしていたので思わず声をかけた。
「どうしたの?」
「出てきたばっかりのコピー用紙ってあったかいんですねえ」
私と鈴木君の会話を聞いていた浜口さんからピンクのもやが噴き出した。わかる。今のピンクは不可抗力だ。
それからもつい鈴木君を目で追ってしまう日々が続いた。
「どうしたの?」
今日は鈴木君が観葉植物の前でぽわぽわしている。
「見てください、これ」
観葉植物の根元にオコジョのピックがささっているのを見つけたらしい。さしたのはきっと課長だ。
「最近、橋本さんが声かけてくれてうれしいっす」
「え、そう?」
「はい。避けられてるのかなって思ってたんで」
どきっとした。避けてましたとも。だって感情がわからなくて怖かったんだもの。
鈴木君が急に声のトーンを落とす。
「そういえば、ちょっと気になってるんですけど」
「なに?」
「橋本さんの周りにたまに黄色いぽわぽわしたものが飛んでるんですよね」
「えっ」
自分のもやは見えたことがないし、人に言われるのも初めてだ。
「なんですかね、俺、霊感あるのかも」
霊感って。思わず笑いそうになるのをぐっとこらえる。
「あ、ほらまた出た!」
そういう鈴木君の周りにもまたぽわぽわが出た。
「もう、なに二人でぽわぽわしてるんですか?」
紫のもやを勢いよく噴き出して、頬をふくらませた浜口さんが割って入ってきた。
「見えるの?」
私と鈴木君が声を合わせると浜口さんはきょとんとしている。
「見えるって、なにがですか。ほら、仕事しますよ!」
今度、私がどんな時にぽわぽわしているのか鈴木君に聞いてみよう。
(了)