第41回「小説でもどうぞ」選外佳作 散々な結果 瀬島純樹
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第41回結果発表
課 題
ときめき
※応募数358編
選外佳作
散々な結果 瀬島純樹
散々な結果 瀬島純樹
めずらしく息子に誘われるままに、二人で街を歩いていると、いきなり、会って欲しい人がいると言う。思いもしないことで驚いたが、ついにそんな時が来たのだと思った。
どんな人なんだと聞くと、とっても可愛い人なんだと言う。よく聞けば、まだつき合い始めて間もないようで、最初の出会いを話しだすと、その表情は何かにとりつかれたようにうっとりして、宙を漂い、まるで夢見心地のようじゃないか。そうか、そんな気持ちになったのだ。わかる、よくわかる。それはつまり、相手にときめいたんだ。
ただ、息子のまじめな性格を考えれば、この兆候は相当に危ういと思った。ときめいて一目惚れすることは、よくあることかもしれないが、この調子でいくと、彼女に隷属されることになりかねない。
彼の気持ちは大切にしながら、できるだけ刺激しないように、恋心のようなものも、夢のようなものも壊さないように、婉曲に、声質も音量もいい塩梅に加減して、あまり思いつめない方がいいかもしれない、と助言しようと思った。が、声にする前にやめた。
明らかに息子の様子は、心ここにあらずで、せっかくいい気持ちで別天地を散歩中なのに、わざわざ厳しい現実に呼び戻すのは、今日のところは遠慮することにした。
わたしもそうだった。もうしばらくは、このまま淡い恋心を味合わせておこう。人生の先輩からのささやかな贈り物のつもりで。
とはいえ、よくわかると言っておきながら、その状態に水を差そうなんて、野暮だとは思うが、自分のときめきの経験は、どれもこれも散々な結果だったから、余計と知りつつも、つい口をはさみたくなる。浮かれていると、足元をすくわれるぞって。
思えば、あのときめきが、そもそもいけなかった。あの時の一目惚れは真剣だった。出会った瞬間、全身に震えが走って、この出会いのために、今まで生きてきたんだ、と思った。とにかく、のぼせあがり、ほかのことは考えられなくなるくらい、ほとんど正気を失っていたと言っていい。早く言い出そうと思うものの、その段になると、意気地がなくなってしまう。こんなことではいけない、なんとかしなくてはと、迷っていると、ひとが呆れながら教えてくれた。あの子はもう決っているよ。
次にときめいたときは、慎重になった。ひとを介して調べながら接近した。が、いつの間にか気付かれたようで、逢いに行った時には、信じられなかったが、目前で逃げられてしまった。
こりないまでも、その次には流石にしり込みした。それでも体験を活かしながら、状況を見極め、チャンスをうかがった。その時、邪魔が入りそうになり、がらにもなくちょっとむきになった。それでも、ちゃんと気持ちは伝えた。ただ、どういうわけか要注意人物として見られてしまって。それだけならまだしも、ありえないことに、誰かが近くの交番に走っていくのには、さすがにショックをうけた。まあ逮捕されなかっただけでも幸運だった。
それ以来、ときめいたときには、要注意とばかり身構えた。いや、それどころか、非常事態発令だと思うようになった。ときめきに目をつむり、ときめきから顔をそむけ、その場から逃げ出すようになった。またとんでもないことが起きる前触れだって。
もっとも、今までにときめいてきた経験は、失敗ばかりだが、未練がましくとも懐かしいし、いとしさに変わりはない。思い出すだけで、いまだにときめいてくる。
だしぬけに息子は、これから彼女に会って欲しいと言い出した。そんな急にと戸惑いながら、彼女の方は了解済みなのかと聞けば、何も答えずに余裕の笑みを浮かべている。まるでそんなことは当たりまえだと言わんばかりだ。なるほど、二人はお互いを信頼し合っているようだ。そうなのだ、誰もが恋のときめきの後に、失望が待ち構えているわけではない。二人をこころから祝福してやろう。
前の方から女性が近づいてきた。わたしの前に二人が揃って立つと、息子は彼女を紹介した。
はじめてのはずなのに、彼女とはどこかで会ったような気がした。しかし、思い出せない。すると、彼女が言ったのだ。お久しぶりですって。一瞬、自分の後ろに誰かいるのだろうかと、思わず振り向いた。誰もいない。ということは、いまの言葉はこのわたしに向けられたものなのか。
彼女の顔に目を凝らした。こんな若い女性に妙な気持ちを覚えた。これはときめきなのか。いや、そんなはずはない。しかし、わたしは即座に反応していた。二人とは反対側に一目散に走りだしていた。
「おやじを、知ってた?」と彼は彼女に訊いた。
「ええ、以前勤めていたギャラリーに、よく来ていらしたわ」と彼女は答えた。
「そうなんだ。おやじ、趣味は骨董品の収集だから」
「お父様が購入を希望されるものは、売約済みだったり、ほんのちょっとの差で売れてしまったり、そういえば、お客様同士のトラブルで交番に駆け込んだことがあったわ。なんだか、あなたに似てる」
(了)