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あなたとよむ短歌 テーマ詠「運動」結果発表 ~短歌のバリエーションと連作~

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結果発表

テーマ詠で短歌を募集し、歌人・柴田葵さんと一緒に短歌をよむ(詠む・読む)連載。

柴田 葵 1982年、神奈川県生まれ。元銀行員、現在はライター。「NHK短歌」や雑誌ダ・ヴィンチ「短歌ください」、短歌×写真のフリーペーパー「うたらば」への投稿を経て、育児クラスタ短歌サークル「いくらたん」、詩・俳句・短歌同人「Qai(クヮイ)」に参加。第6回現代短歌社賞候補。第2回石井僚一短歌賞次席「ぺらぺらなおでん」。第1回笹井宏之賞大賞「母の愛、僕のラブ」。
■作品
プリキュアになるならわたしはキュアおでん 熱いハートのキュアおでんだよ
(『母の愛、僕のラブ』より)
vol.64
テーマ詠「運動」結果発表
~短歌のバリエーションと連作~

短歌を読む・詠む連載、「あなたとよむ短歌」。今回はテーマ詠「運動」の結果発表です。

今回のテーマは難しかったかもしれません。「自分には縁のないテーマだから苦戦した」というメッセージもいただきました。

かくいう私も運動は苦手です。でも、うまくいかないこと、どうしようもならないことと短歌は、割と相性がいいものだと思います。また「運動」は、物体や天体、何かの推進やデモなどの社会活動にも使う言葉です。苦手な題詠こそ、はりきって挑んでみてください。私もがんばります。

後半では投稿者の皆さんの質問に回答しています。作品と合わせて、ぜひ最後までお付きあいください。

それでは、最優秀賞の発表です!


放課後の鉄棒臭い手に触れて
夕日はいつも西に沈んだ
(髙山准さん)

よく人間は8割の情報を視覚から得るといいます。短歌もつい視覚情報を詠みがちになるものですが、髙山さんの一首は、鉄棒を握ったことのある人なら誰でも覚えのある、懐かしい匂いの記憶を呼び起こします。

鉄棒臭い手に触れたのは誰でしょうか? もしかしたら、大人やきょうだいが迎えに来たのかもしれませんね。鉄棒臭い、幼い手をひいて、家に帰るところかもしれません。
あるいは「夕日が手に触れた」とも読めるかもしれません。子どもの鉄棒臭い手を照らしながら沈んでいく太陽。主語を省略しているからこそ、多様な読解が生まれます。
「夕日はいつも西に沈んだ」という下句も印象的です。日が西に沈むのは当然のことですが、それゆえ「何も変わらない」ことを示唆しているとも取れます。鉄棒を練習しても練習しても、手が臭くなるだけで、今日も回れないまま日が沈んでしまったのかもしれません。


続いて、優秀賞2首です。

茶碗割る 自由落下にいくばくか
コンチクショウを加えてしまい
(白波はるよさん)

「いくばくかコンチクショウを加えてしまい」という表現、とんでもないですね。普通は思いつかないです。すごいです。
手から離れて茶碗が落ちる。これは物理的な運動ですが、そこにいくらかの「コンチクショウ」という心が加わってしまったことで、おそらく自由落下よりも重みというか、勢いが加わってしまったのでしょう。
もし「コンチクショウ」が加わらずに自由落下だけだったら、茶碗は割れなかったかも。そう考えると、ますます「コンチクショウ」が際立ちますね。「茶碗割る」の5音とその後の空白で、一瞬世界が止まったような感じを表現している点や、「加えてしまい」と言い差しな終わり方で微妙な後悔や恥ずかしさ、引きずった感じを出している点も魅力的です。


無駄のないコーナリングでコンビニを
世界記録で後にする朝
(白鳥さん)

まさに、スポーツや体育以外で「運動」を詠んだ一首です。
忙しい通勤時、配置を完璧に掌握しているいつものコンビニで昼食のおにぎりとペットボトルを取り(例えばの話です)無人レジで電子決済、その時間1分未満、今日も一切の無駄なくコンビニを後にした自分、天才かもしれない。ささやかで誰にも自慢はできませんが、これだって日々の積み重ねが生んだ美しい運動ともいえます。毎朝開催される、自分のなかのオリンピックですね。



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