第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 天使の契約 丹波らる


第13回結果発表
課 題
契約
※応募数249編

丹波らる
裁判所前は本日も行列である。訴え人のほとんどは、契約を一方的に破棄されたと涙ながらに訴える悪魔たちである。分厚い訴状と大きな鎌を持ち、泣きはらした瞳をこすりながら悪魔たちは並んでいる。
「次のもの、入れ!」
「へい」
しっぽの先を尖らせた、いかにも悪魔という風情の悪魔が裁判所に入ってきた。うやうやしく訴状を受付に渡すと黄金に輝く原告人席に座った。
「訴状の内容を述べよ!」
「へい。聞いてくだせえ、ゼウス様。ある日本の中年男の命を質にとって大金を貸したまでは良かったのですが……踏み倒されやして……」
「いわゆる悪魔の契約という類いだな。いくらぐらい貸したのだ?」
「五十万円でして……」
額にあふれる汗をハンカチで押さえながら悪魔は小さな声で答えた。五十万円は命の値段としてはあまりにも安すぎる、ゼウス様からその点を突かれそうな気がした。
「まあ、日本人の男の命の値段としては妥当な金額だな。円安だし、国際競争力もないし、そのくせプライドだけは高い生き物だからな。それ以上の金は貸せぬの」
ゼウス様の意外な答えに悪魔はめんくらった。
「でもですね、その五十万円を踏み倒されやした……金が返せぬなら、質草の命を取ろうとこの大鎌でなんども男の体を刺したのですがね、そのたんびに救急車で運ばれては蘇生して」
か細い声で言い終えると、悪魔はふたたび溢れだした額の汗をハンカチで押さえはじめた。左手で持っている大きな鎌がなんとも頼りない。
(だから被告人席は空席なのじゃな)
ゼウスは苦悶の表情で天を見上げた。
(日本ではなかなか人は死ねぬという報告は聞いておったが、ここまでとは……。百歳以上の日本人が十万人近くおるとも聞く……。なかなか命が取れぬとなると、悪魔も商売あがったりじゃな)
長い沈黙のあと、ゼウスは原告人席に座っている悪魔に薬にも毒にもならない判決を言い渡した。悪魔はしぶしぶ頭をさげ、裁判所を去っていった。ゼウスは休憩室に入ると、靴を脱ぎ、大きな溜息をついた。大天使ミカエルはゼウスに近寄ると、淹れたてのコーヒーを満面の笑みを携えて差しだした。
「ゼウス様、午前のお勤めはいかがでしたか? されど、まだ行列は切れませぬぞ」
大天使ミカエルはカーテンを人差し指で少し開け、外を見た。訴状を抱えた悪魔たちの行列が遠方まで続いているのが見えた。
ゼウスはコーヒーを一口で飲み干すと、眉間に深い皺を作りながらため息をひとつした。
「日本人の中年の命が安いのじゃよ。第二次ベビーブームで数が多いわりに、就職氷河期でまともな仕事を担えず生活の金に困っている。つまりは命の質のデフレじゃ。命しか質草にできぬ悪魔たちは大変じゃ。安かろう悪かろうの氷河期世代ばかり契約をせざるを得ないのも分かるが……もっと若い二十代あたりと悪魔の契約を結ぶ努力をせねばならぬのに。このままじゃ悪魔は失業してしまうの」
「たしかに若い世代は給与も上がっておりますゆえ、悪魔の契約には興味がないみたいです。お考えがおありなら、それを私めが困窮する悪魔たちに説明致しますが……」
ゼウス様は白いあごひげをさすりながら、ミカエルに伝える。
「とりあえず、今後は中年との悪魔の契約は禁止としよう。さすれば悪魔たちも若者をターゲットに悪魔のささやきを強化するじゃろうて」
大天使ミカエルは軽く頭を下げるとそのまま休憩室をあとにした。
その直後、午後の審議の開始を知らせる天使の笛の音が鳴り響いた。ゼウスは重い腰をなんとか持ち上げると、法廷に入った。なんだか悪魔たちの数が減った気がしたが、いつものように前例や判例にしたがった無難な判決を言い渡していく。不思議なことに午後の審議がはじまって三時間ほどで原告人席の悪魔はいなくなった。いつもなら深夜にまで続くのに。ゼウスは大天使ミカエルを呼び出した。
「お呼びでしょうか、ゼウス様」
ミカエルはうやうやしく礼をする。
「なんだか午後の審議がスムーズすぎておかしいのじゃ。あんなに長かった悪魔たちの行列がなくなってしもうた。なにかあったのか?」
「いえ何もございません。ただ、中年との悪魔の契約は禁止になったと悪魔たちに伝えただけなのですが」
「それにしても不思議よのう。悪魔自体の数が減ってきておる気がする。はやり失業してしまったのかの?」
大天使ミカエルは手元に次々と届く報告書に慌てて目を通す。そしてひとつ咳払いするとゼウスに報告した。
「たしかに悪魔の総数は激減し、それに反比例して天使の総数が増えてきております。中年との悪魔の契約ができなくなった悪魔たちが、今度は高齢者たちと悪魔の契約をしているみたいです。契約違反をした高齢者たちの命をつぎつぎと奪っているのですが……それがなんだか日本では感謝されているみたいで……」
「感謝じゃと?」
怪訝そうな表情でゼウスはミカエルを睨む。
ミカエルは冷静に報告分を読み上げた。
「なんでも死に際に、あなたは悪魔じゃなくて天使だ、と言われているみたいです」
(了)