【第2回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 学生バンド時代を振り返る


最初に自分がつくったものといえば、自己評価もさることながら、他者から見たら褒められたようなものではないというのが、一般的な状況だろう。
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一曲目から、世に出して素晴らしい評価を受けられるものがつくれるという人も中にはいるかもしれないが、ほとんどの場合は箸にも棒にもかからないというのが実際のところだろう。
私たちのバンドの最初のオリジナル曲に関して、今きいてもそれが楽曲としてクオリティが著しく低かったわけではないが、それにしても高校の文化祭という熱狂の中で、本来以上の評価を受けたことは間違いないように思う。
そしてそれがゆえに、はじめてオリジナル楽曲をつくってからしばらくの間、楽曲制作ということに関して、その良し悪しや、そもそも「どうやって曲を作れば良いのか」といったことに対して、何か具体的に、あるいは再現性ある形で取り組むことはなかった。
実際にこの楽曲は、文化祭のためにつくられたものであり、その後そのバンドとしての持ち曲にはなったものの、オリジナル曲をさらに制作するようになるのは、高校卒業後のことなのである。
しかも、この文化祭においてたしかに私たちのオリジナル曲はテーマソングとなり、オープニングやエンディングなどで演奏はしたのだが、文化祭の中でも最も盛り上がる「中晩祭」という1日目の夕方に行われるライブイベントの中では演奏されなかった。
このライブで私たちのバンドはトリとして出演したので、最も盛り上がるタイミングだったのだが、すべてコピー曲(あるいはカバー曲)という選曲だったことは非常によく覚えている。
これは、つまり私は自分達の「オリジナル曲」をライブを十全に機能させるような楽曲として認識していなかったということだろう。
今となっては、これは非常に示唆深い出来事だったと思うのだが、当時はそれほど重要なこととはもちろん捉えていなかった。
私はオリジナル曲をつくって、段階βに進んだと思っていたのだ。しかし実際には「創作」というもの、あるいは楽曲というものの認識に関しては、これを作る前の段階と何も変わらず、ずっと段階αにいるままなのである。
人のつくったもののコピーで、(非実体的な)評価を受ける段階からの卒業は、高校卒業の前には実現しなかったというわけだ。
次回の更新は11月5日(水)を予定。お楽しみに! |
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