【第1回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 「わたしはクリエイターなのか」


2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。
FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。
2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。


最初から元も子もないことをいうと、「人から頼まれて、誰かが歌ったり演奏したりするための曲をつくる」ということが、一般的な意味で「創作」にあたるのかという疑問は常に目の前にある。
私が、自分が作詞家だとか作曲家だとかと名乗るのは、自分がそれで対価を得ているからであって、何かを創作しているのかということについては「私はクリエイターである」と断言できるほどの自信はない。私のやっていることというのは、書いた通りで「表現者が自己表現をするための道具を生み出している」ともいえるだろう。
しかし、ではその行為がまったく創作的ではないのかといえばそんなこともない。私のつくったものは「固有の創作物」として、その権利も含めて世の中において認識されている。
ということで、このコラムが続く限り、この「もっとも創作的でない創作」者という立場から、何かをクリエイトするということがどういうことなのか、ということを考え続けてみようと思っている。
さて、今では職業作詞家、作曲家として前述の通り「頼まれたものをつくる」ということが私の主な仕事なのだが、音楽家としてのキャリアのスタートからそうだったというわけではない。この世界ではそれなりにありがちなことだが、最初はバンドのメンバーとして出発した。
少なくともその時、バンドがやりたいと思っていたのは、自身の音楽的な感動の多くがライブにあったからだろうと思う。曲自体をつくるということよりも、音楽を演奏し、それをその空間にいる人と共有することが自分自身にとって、もっとも「音楽的」な行為に思えていたのだ。大抵の場合、バンドをやる人というのはこういった感覚を少なからず持っていると思う。(例えばバンドをやってモテたい、というのも実際にはそれほど変わらないことのように思う)。
このような動機は創作的なのか、ということを一度考えてみよう。
そもそも「創作的」というのがなんなのか、ほとんど定義のようなものも語っていない中ではあるが、ここは一つ帰納的に定義していくことを目標としたい。
つまり、「こういうのは創作的だね」とか「これは創作的とはいえないよね」ということを列挙していきながら、なんとなくその全体像を探っていくという方針だ。これがこのコラムのやるべきことだと言っても良い。