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第2回「おい・おい」優秀賞 天丼 当麻スエ

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おい・おい
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結果発表
優秀賞

天丼
当麻スヘ(東京都・64歳)

 

「ひろみさん、てんやの天丼、買ってきて」
 仕事から帰宅した私の顔を見るなり、義母は言った。
「え?」
 私は耳を疑った。料理好きな義母は、できあいのものを買って食べるということがまずない。梅干しだって干し柿だって自分で作る。
 それが「てんやの天丼」という店まで指定したあまりにも具体的な買い物の依頼に、私は大いに驚いた。
「てんやの天丼ですか」
「そう、てんやの天丼。あそこのおいしいの」
 主人の母は、今年で九十歳になる。数年前に患った脳梗塞の後遺症で右半身が不自由だが、それでも杖を突きながら毎日買い物に行き、左手で包丁を握る。
「てんやの天丼」がリーズナブルでおいしいのは、私も知っている。
 しかし、義母が買って食べている姿を見たことはない。義父が存命の頃を思い出しても、買った天ぷらを二人で食べていたという記憶も全くない。
 いつ食べたのだろうと思いながら、私はてんやに急いだ。一つだけ買うのも気が引けたが、天丼(並)を一つ買った。
 実は、地元の商店街には、もう一軒天ぷら屋がある。そこはチェーン店ではなく、カウンターで揚げたての天ぷらを食べることができ、扉の外ではいつも客が列をなしている。おまけにテイクアウトもあるのだ。
 てんやには失礼な話だが、「なぜてんや?」という思いはぬぐえず、店の前に並ぶ客を横目で数えながら帰宅した。
 二階に上がると、義母は小さな缶ビールを片手にテレビを観ていた。
 その画面も左半分が真っ黒だ。数日前、義母は部屋のじゅうたんにつまずいて転倒し、そのはずみにテレビを倒してしまったのだ。
「お義母さん、今度の週末、テレビを買いましょうね」
 私はそう言って、天丼の入ったポリ袋を義母の前に置いた。
「ひろみさん、これなあに」
「え、てんやの天丼ですよ」
「あなた、食べて」
 えーーー! そんな! お義母さん、私、急ぎ足で買ってきたんですよ!
 しかし、義母の顔は頼んでいないことを語っている。
「じゃあ、私が食べちゃいますよ」
 私は天丼を引き取った。
 てんやの天丼は、三日続いた。三日目は上天丼だったけれど。
(了)