第2回「おい・おい」選外佳作 きざみ煙草 紅帽子


きざみ煙草
紅帽子(北海道・67歳)
幼児のころ、僕は祖母の背に負われてしばしば煙草屋まで行ったという。痩せぎすの祖母の背が硬かったのだけはなんとなく記憶にある。
明治生まれの祖母は粋な人だった。酒は飲まないが煙草を嗜んだ。しかも煙管で吸うのである。たしか桔梗という銘柄だった。きざみ煙草の紙袋を開けた瞬間の香しさは何十年経った今でも僕の嗅覚に残っている。
祖母は指でひとつまみのきざみ煙草を少し揉んだあと、煙管の先っぽの火皿の上に詰める。マッチをシュッと擦っておもむろに火皿に持っていき、ふっふっと息を吸って火をつける。息を吸うたびに火皿が赤く光り、祖母の鼻から白い煙が立ち昇る。吸い終わると灰皿の縁に煙管をトンと打ち付け灰を落とす。その音は喫煙という一連の儀式の終わりを告げる心地よい打音だ。
小学生になり、僕は祖母からしばしばお使いを頼まれた。きざみ煙草の桔梗を買ってきてくれというのだ。町中の煙草屋にはもう桔梗が売られておらず、隣町まで自転車で行かなくてはならない。
「いいよ」
僕はグラウンドで遊ぶついでに桔梗を買いに行き、お駄賃をもらった。
小学六年になったある日のこと、ふだんは僕に煙草の買い物を頼む祖母がこう言った。
「一緒に行くか」
僕はそのとき「うん」と言わなかった。ちょうど思春期のとば口に立っていた僕は、高齢とはいえ、一人の女性と歩くことを躊躇ったのだ。
「ばあちゃんと歩くのがイヤかい?」
僕はなんと答えたのだろう、たぶん何も言わなかったと思う。
とにかく僕はそのときから祖母と歩くことはなくなり、そしてその機会は永遠に失われてしまった。
今から思えば祖母はそのとき六十代前半だった。今、僕は祖母の歳をとっくに超えた。
四歳の孫が久しぶりに遊びに来た。ちょうど晩酌のお酒をきらしていたので孫娘と酒屋に買い物に行った。
幼児は一緒に歩くことをしない。いきなり走り出すかと思えば、急に座って蟻や団子虫を観察する。おおい、待ってくれ、早く行こうよ、なんど呼びかけたことか。
酒屋からの帰り道、孫娘は疲れたのだろうか、それとも夕暮れに感傷的なったのか、歩みがのろくなった。
僕は言った。
「負ぶってやろうか」
「うん」
僕の背に負われ、孫娘は耳元で囁いた。
「じいちゃんは、お酒のみだね」
ははは、と僕は笑った。
僕は小学生高学年になったこの孫娘のその頃を想像する。
「じいちゃんと買い物、一緒に行くか」
僕の言葉に彼女は「うん」と返事してくれるだろうか。
(了)