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第2回「おい・おい」選外佳作 実家とは近くにありて行かぬもの 松本俊彦

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<選外佳作>

実家とは近くにありて行かぬもの
松本俊彦(京都府・61歳

 

 三年前、一人暮らしの八十代の母が胃がんになった。胃の全摘手術を受けた。体重が減り、体力が衰えた。足は丈夫で歩行に問題はないのだが、それまで毎日乗っていた自転車には乗れなくなった。転んだ場合に、大けがをしかねないからだ。
 自転車に乗れなくなったということは、毎日通っていたスイミングにも行けなくなったということだ。それが余計に体力の衰えに拍車をかけた。
 ひとつ困ったことがある。買い物である。さっきも言ったように、足だけは丈夫なので、ある程度の距離なら問題なく歩ける。そして、近所のスーパーはある程度の距離内にある。だから、スーパーまで往復することには問題ない。問題は、荷物である。米とか西瓜とか、重い物を買ってしまうと、家まで持って帰れないのである。それなのに、栄養ドリンクとかペットボトルのジンジャーエールとか重いものをやたら買いたがる。それも、まあ当然と言えば当然であるが、安売りの日にまとめ買いしたがる。病気になる前なら、ぎりぎり自転車に積めたかなあというぐらいの量を買いたがる。
 しかし、本人が欲しがっているのであるから買うなとは言えない。実家には自動車があるのだが、母は免許証を持っていない。自動車は父が運転していたもので、父はもう十年以上前に他界している。
 結局、歩いて十五分ぐらいのところに住んでいる私が自動車で母をスーパーに連れて行くことになる。十五分歩いて実家に行き、買い物が終わったらまた十五分歩いて私の自宅に帰る。自分の用事ではないので、けっこう面倒である。
 しかし、考えてみる。もしこの用事がなかったら、どうだろうか。母が住む実家が、歩いて十五分のところにあるというのが曲者である。用事がなければ、まあ行かない。いつでも行けるところには、行こうと思わない。現に母が病気になる前は、飛行機でないと実家には行けない人よりも実家に行かなかったかもしれない。
 しかし、そんな事情で頻繁に実家に行くようになった。月に何度も母に会うようになった。会ったら、母の顔を見る。顔を見たら、いくらかは話をする。話をすれば、今の状況がわかる。今の状況がわかれば、安心できる。それはもう、買い物がどうこうということだけではない。母が病気になったことは、もちろん喜ばしいことではないけれど、それは悪いことばかりでもなかったと思っている。思おうとしている。
(了)