【第5回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 聖地・下北沢SHELTERでもらった、初めての「大人からの厳しい意見」


夢を追う街、下北沢
恥ずかしながら私はそこに住むまであまり正確に把握できていなかったのだが、下北沢はミュージシャンや役者、芸人など成功を夢見る若者がどこよりも集まる街である。実際に、街を歩いてみると街のサイズに対して異様ともいえるくらいの数でライブハウスや劇場がある。そして、街行く人も楽器を持っていたり、役者さんが舞台のビラを配っていたりということも多い。
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彼らは、少なくとも下北沢にいる時点ではそれほど有名な(いわゆる売れている)アーティストというわけではない。むしろ、それを夢見て下北沢で活動をスタートしたという感じだろうと思う。その雰囲気が好きで、所謂「売れてからも」下北沢付近に住み続けている芸能人も結構いると聞く。
今ではかなり事情が変わってしまっているが、私が上京した当時ではバンドが想定できるサクセスストーリーというのは、基本的にライブハウスでいいライブをして動員を増やし、どんどん大きなライブハウスに進出し、メジャーデビューするというものだった。
私自身は音楽をやるために下北沢に来たわけではなく、下北沢に住むことになったがゆえに音楽のプロを目指すことになったという点で少し特殊かもしれない。少なくとも、この街に辿り着かなければヤマモトショウの今の姿はないわけだ。
聖地・下北沢SHELTERでの「大人からの厳しい意見」
当時はまず、バンドを組んだらライブハウスにデモ音源を持っていったり、ライブハウスのオーディションライブのようなものに出演することになっていた。敷居の低いライブハウスはチケットノルマを払えば出演することができるが、下北沢にはそう簡単には出演することができないバンドマンにとっての憧れのライブハウスもあった。
そのうちの一つが、最近では「ぼっち・ざ・ろっく!」の聖地としても有名になった下北沢SHELTERだ。当時、私ははじめてここに出るためにオーディションライブに出演した。週末の昼に開催されるオーディションを経て、はじめて夜の部のライブに出られるようになるのである。
今もこういったオーディションライブが行われているのかはわからないが、当時はこういった場で、ライブハウスのブッキングマネージャーから厳しい言葉をもらうことも多かった。
もちろん、それは今考えれば当然のことだ。彼らからすれば、我々バンドマンは自分たちのつくる場に見合う存在かどうかを仕事として判断する必要がある。(チケットノルマを払わせているのであれば、むしろバンドマンたちはお客さんなわけで、厳しい言葉をかける必要もないだろう。次もノルマをはらって出てもらうために、バンドマンたちが気持ち良くなるような言葉をかけた方がよっぽど合理的だからだ)
音楽をはじめて自分たちで曲をつくり、それなりに楽しくやっているなかで、ある意味はじめての「大人からの厳しい意見」というのは少し堪えるものだった。もちろん自分も含めて多くの人たちが、それを乗り越えてオーディションを突破したわけではあるのだが、そうはいっても自信を持っていた曲や演奏を実質的に否定されるような経験というのはなかなかないものだ。
しかしそれも、実は幸せなことなのかもしれない。今、自分が音楽をはじめてバンドをやろうとするならば、早速音源をインターネット上にアップすることになるだろう。そうなれば、良くも悪くもそれらは不特定多数の目に触れることになる。彼らがくれる意見は、もちろん意味のあるものもあるが、大半は「これといった責任のない無根拠な話」である。その音楽が、そのバンドがどうなろうがそのコメントをした人にとってどうということはないのだ。
自分たちが当時もらっていた意見は、どれだけ的外れだったとしても少なくとも彼らの責任のもとに発信されたものでもあった。今の自分にそういったことを言ってくれる人がどのくらいいるだろうか。創作はいつもどこか孤独だが、それでも必ずどこかで世界とつながるものであると考えた時、その最初の一歩は自分にとっては下北沢にあったように思う。
| 次回の更新は2月4日(水)を予定。お楽しみに! |
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