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【第7回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか ふぇのたす時代、状況を変えた「スピーカーボーイ」

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作詞
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コラム
創作はいつまで続くのか
PROFILE ● ヤマモトショウ
1988年静岡県生まれ。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒の作詞作曲家、音楽プロデューサー。2012年からバンド ふぇのたすのメンバーとして活動。
2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。

FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。

2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。

ヤマモトショウさん

 
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作詞作曲・編曲を担当したFRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」はオリコン 週間ストリーミングランキングで累計再生数2億回を突破。いま大注目のソングライター、ヤマモトショウさん。

いまの「かわいい」曲のルーツともいえるバンド「ふぇのたす」時代を振り返ります。いま大人気のあのバンドとデビューが同時期だという驚きのお話も! ぜひ当時の曲を聴きながら読んでください!(編集部)

 

第7回 状況を変えた! プロとしての一曲目

「プロ」としての1曲目

 前回までの話でようやく音楽の「プロ」というものが視界に入ってきたのだが、実は以前に、日本と欧米の「プロ」観の違いとしてこんな話を聞いたことがある。
 おそらく日本において「音楽を仕事にしている」というと、「音楽で生計を立てている人」とイメージするだろう。だから、音楽に関して「どんな音楽をやっているのか」と聞かれたら、それが例えば私の場合であれば「誰々の曲を作っている」という話になる。
 ところが、欧米ではその質問の意図は「自分の名義でやっている音楽」のことを指すというのである。つまりヤマモトショウとしてリリースしているのはどんな曲なのかということになる。
 もちろん、私の場合は作詞作曲家として名前を出して曲がリリースはされているが、それは自分自身の音楽活動というわけではない。
 そこを向こうでは、それがどんなにお金になっていようがなかろうが、サポートなどの仕事ではなく、「自分自身の音楽活動」を自分の「ワークス」として語るというわけだ。

 もちろん、どちらのスタンスが良いという話ではないのだが、私にはいまだに日本的な「仕事観」というものがあって、思い返してみてもプロとしての楽曲として自分にとっての一曲目だと思える曲は明確にわかる。
 先に答えを言ってしまえば、それは自分がデビューしたバンド「ふぇのたす」の「スピーカーボーイ」という楽曲である。

バンドの危機と新たな出会い

 前回、ふぇのたすの前身となるphenomenonというバンドでデモテープに返事が来たこと、そしてそれらの評価として「曲が良いが、歌が弱い」と言われたことなどを挙げた。前述のとおり、私は最初それを自分へのプラス評価だと思っていたので、とりあえずそのバンドでツアーをやってみたり、音源をつくってみたりすることで、プロとしてのデビューを目指して活動していた。
 それなりにお客もついてきて、ワンマンライブも行えたり、インディーズでCDをリリースする話が浮上したりするようにはなってきたが、一方で「これは」という曲が生み出せていなかったようにも思う。
 つまり、楽曲一つで例えばメジャーのレコード会社が「これは発売したい」と思うようなものは作れていなかったわけで、当然客席からの反応としても「いい曲はあるけれど…」というような評価だったのだろう。
 最初にデモテープに返事をくれた会社の人とは時折連絡を取り合いながら、という状況ではあったが、反応を見る限り特別何かが前進しているような印象はなかった。
 その矢先にボーカルがバンドから抜けることになった。

 ライブもたくさん決まっていたので、仕方なく決まっていたツアー(ツアーの初日の直前でのことだった)を残りのメンバーだけで回ることになった(ベースの人がボーカルも担当)のだが、もちろんその時はそれほど簡単に割り切れたわけではなかった。
 メンバーも全員がこれでプロになってやろうと思って活動をしていたわけで、裏切られたような気持ちと、怒りもあったかもしれない。ひとまずツアーを回ることにしたのも、それがプロとしてそうすべきだと思ったというよりも、思考停止していたのか、あるいはそれしか取れる選択肢がなかったということかもしれない。いずれにしても、前向きに見せながらも、かなり危ない状況だったようには思う。
 今、思えばそのボーカルに一番合う楽曲を自分がつくれていなかったことは間違いないだろう。それができていたら、世間の反応も、そして自分たちの中での反応も変わっていたはずだし、ボーカルもそのタイミングで抜けることはなかったかもしれない。

 よくバンドが解散するときなどの理由として「音楽性の違い」といったものが挙げられるが、本来それぞれ別の人間同士が組んでいるのだから、音楽性というのは同じはずがない。しかし、それでもそれぞれの共通するポイントや、強みを生かして一つの音楽をつくっていくのがバンドなのである。phenomenonはヤマモトショウのその時できる音楽、得意な音楽性ではあったかもしれないが、phenomenonというバンドとしての明確な音楽性を持つことができていなかったということである。
 私は今でも、自分の歌を歌ってくれている全てのアーティストを尊敬している。それは自分にはできないことであるし、そしてボーカルがいなければ自分の曲はまったく形にならないからだ。
 そういった意味でどうしてもボーカルが必要だった私たちに、デモテープに返事をくれた会社の一社からボーカリストを紹介してもらえることになった。
 それがふぇのたすのボーカルになるみこ(当時は八雲みこ名義でソロのシンガーソングライターとして活動中だった。

 みこ自身もシンガーソングライターとしての活動の先行きに不安を感じている中で「相性がいいのではないか」ということで紹介してもらったのだが、実際に最初に会ったときの印象はお互いそれほどいいものではなかった。というのも、これまで自分が組んできたバンドのメンバーというのは、すでにその時点で親しくなっている人がほとんどであり、簡単にいえば「友達とバンドを組む」以外の経験はなかったのである。みことの活動は、ある意味で本当に「音楽活動をプロとしてやっていくこと」だけを念頭において、スタートしたものであったといえる。
 しかしそういった出会い方に慣れていないことが態度などにも表れていたのだろう。活動の初期は本当にぎこちない関係だったように思うし、みこの方は「このグループで活動するのは難しいかもしれない」と思っていたようだ。