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【第5回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 広い世界への一歩目は「下北沢」だった

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コラム
創作はいつまで続くのか
PROFILE ● ヤマモトショウ
1988年静岡県生まれ。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒の作詞作曲家、音楽プロデューサー。2012年からバンド ふぇのたすのメンバーとして活動。
2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。

FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。

2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。

ヤマモトショウさん

 
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「日本版グラミー賞」ことMUSIC AWARDS JAPANや日本レコード大賞を受賞した、FRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」を始め、数々のかわいいヒット曲を生み出している、いま大注目のソングライター、ヤマモトショウさん。

2025年のレコード大賞ではFRUITS ZIPPER「かがみ」で優秀作品賞を受賞。人気作曲家ヤマモトさんのルーツは、バンドマン時代にあり!? あまり詳しく語られてこなかった過去が、どんどん明らかに!(編集部)

 

第5回 広い世界への一歩目は「下北沢」だった

アイドルソングの二大巨頭、初めての対面!

 つい先ほど、今年のレコード大賞の授賞式に出席した。こういった式典に出席する機会が少ないのと、会場にはあまり自分のような人がいないのでどうしても場違い感がある。そんな中でもちょっとだけ嬉しかったのが、ミュージシャンの玉屋2060%さんにはじめてお会いできたということだ。
 玉屋さんは近年の様々なヒット曲でもちろん有名なのだが、作品で名前が一緒になる(アルバムの中でそれぞれの作品が並ぶなど)ことも多い中、ここまで一度も直接会うことがなかった。
 玉屋さんは今もWiennersというバンドでの活動を主軸にされているが、私も15年ほど前、まさにゼロからインディーズバンドをはじめた時期が同じくらいだったので、そういった意味でも厳かな会場内でも珍しいバンドマン的な親近感を感じたのである。
 
 思いがけず、自分の過去から現在の仕事への接続を確認したわけだが、そんな自分のバンドマン時代と、絶対に外せない景色を思い出してみたいと思う。

進学のための「上京」

 前回話したように高校時代に数学にはまったこともあり、とりあえず高校を卒業したら大学にいって数学やそれに類することを勉強、研究をするのが良いのではないかと考えるようになった。幸い受験勉強の類は得意だったので、とりあえず選択肢は多い。
 進路についてはそれほど深く考えたわけではないが、ひとまず東京にいってみようということになったのである。

 ところで、音楽をはじめとして、エンタメ系、芸能系、何かしらそういったものでの成功を志すときに、ついて回るのが「上京」に関する問題である。やはり、日本国内で活動をするなら東京で勝負をしたい、と考える人は多い。
 今でこそ、音楽の世界でもインターネットでの盛り上がりからスタートするような成功例は数多く存在する(といってもそれらを運営している会社のほとんどは東京にある)が、少なくとも私が上京した当時(2006年)ではまだほとんどの地方出身のミュージシャンが、東京に出てきてキャリアアップするというイメージを持っていたように思う。要はそれ以外には物理的な方法が存在しなかったのだ。

 私自身は、上京を決めた時点で音楽の道を志していたわけではなかった。より正確に言えば、東京でも何かしらの形で音楽をやろうとは思っていたが、将来的に音楽を商売にしようとは思っていなかったということだ。
 そのため、大学でも特に深く考えることなく軽音サークルに入って、高校生の時と同じような温度感で音楽を続けることになる。ここでも基本的にはコピーバンドをやるわけだが、高校生のときの延長でオリジナル曲をつくるということも続けていた。

 そして、第2回の話に登場した文化祭のテーマソングをつくったバンドのメンバーは全員同じタイミングで進学し、上京していたのでそのバンドの活動も続けることになっていた。もちろんこのバンドでもプロを目指そうとしていたわけではない。あるいは、何か音楽的な目標があったというわけでもなかったが、しかし趣味としての音楽でどういったことができるのか、まだすべてがぼんやりとしていた時期だったと思う。

 それに加えて、ひとつ特殊な事態が発生していたのだ。
 私は数学を勉強しようと考えて結果的には東京大学に進学したのが、東大ではまず最初に駒場キャンパスに全員が通うことになる。東京の地理に明るい人はわかると思うが、上京してきて一人暮らしをする場合、駒場に通うならば概ね東京の西側のエリアに住むのがよかろう、ということになる。
 私はその中でも、駒場まで歩いていける範囲で生活したいと考え、大学に最寄りの駒場東大前駅から京王井の頭線で二駅(京王井の頭線は駅のホームから隣駅が見える場所もあるくらい一駅間が短い区間が多い)の場所で新しい生活を始めることになった。
 それが、言わずと知れた「下北沢」である。