第52回「小説でもどうぞ」佳作 やじるしタイル 渋川九里


第52回結果発表
課 題
ゲーム
※応募数361編
渋川九里
会社のビルに到着し自動ドアが開くと、孝志の目の前を人がスケートを滑るように横切っていった。よく見ると同期の平井だった。
「わ、わ。佐藤、おはよう!」
平井が必死にバランスをとりながら孝志に声をかける。
「おはよう。ってか、どういうこと?」
と、声をかけた時点で平井の身体はすでに奥の方に流されていた。その代わりに目の前にやってきた同じ部署の田中が答える。
「社長が床のタイルを全部やじるしに変えちゃったのよ~」
そう言いながら田中も滑っていく。ふだんピラティスで体幹を鍛えているだけあって安定感がある。危なっかしい様子の平井とは大違いだ。
「佐藤、おはよう。そんなところで立ち止まってどうした?」
自動ドアの前で立ったまま孝志が振り返ると、部長の坂田がやってきた。
「部長、おはようございます。実は床が……」
孝志が言い終える前に、部長はビルに入った。その途端、孝志の前を横切って右方向に滑っていく。部長が入ったときに踏んだ床のタイルを見ると右向きのやじるしが書かれていた。
廊下には既に数人が右へ左へ奥へ手前へと滑っている。五十センチ四方ほどのタイルには一枚にひとつ、やじるしが描かれていて、タイルの上に乗るとやじるしの方向に身体が流されていく仕掛けのようだ。
「またか……」
孝志はため息をついた。
孝志の勤めている会社は、社長が一代で築いたゲーム会社だ。小学生のときにファミコンに出会った社長はすぐに夢中になり、大学卒業後、自分の理想とするゲームを作るべく起業した。いくつかのヒットゲームを生み出し、今や自社ビルを持つくらいまでに会社は成長したが、社長は今もゲーム少年そのもの。面白いアイデアが浮かぶと、ゲームの中も現実世界も関係なくすぐに実行してしまう。
孝志は気を取り直して乗るタイルの見極めに入った。最初の選択が肝心だ。乗るべきエレベーターの前のやじるしから逆算していく。どうやらエレベーターに直接行けるタイルは見当たらない。孝志は諦めて、とりあえずタイルに乗ってみることにした。
さっき滑っていった部長は廊下の一番奥で壁にぶつかったままだ。やじるしが壁に向かっていて向きを変えられないらしい。
孝志はまず奥に向かうやじるしのタイルに乗った。しばらく奥に進むやじるしが続く。
――もしかしてこのままエレベーター前に行けるかも……。
そんな淡い期待はすぐ消えた。
左に向かうやじるしに移った途端、くっと身体の向きを変えられ、そこから右へ左へと振り回された挙句、営業部のフロアに押し出された。
「佐藤さん、誰かに用事ですか?」
営業事務の臼井が声をかけてきた。
「いや、自動ドアの前の真ん中のタイルに乗ったら、ここに連れてこられた」
「真ん中のタイルだとここに着けるんですね! 営業のグループラインで共有します。みんなここにたどり着けなくて、困ってたんです」
臼井に満面の笑みを向けられ、孝志は思わずにやける。
「ところで、ここからどのタイルを選べばエレベーターに行けるか知らない?」
「さっき二階の経理部に向かった人がいるので聞いてみますね」
臼井がスマホに打ち込むとすぐに返信が来た。
「廊下に出るところの五つのタイルのうち、右から二番目はNGらしいです。まだ経理部に辿りつけなくてクルクル回っているみたい」
孝志は臼井に礼を言って足元のタイルを眺めた。
――右から二番目のタイルは右だから必然的に一番右もNGだ。真ん中のタイルは左、その左隣りは奥、一番左はこちらにやじるしが向かっている。ということは……。
孝志は左から二番目のタイルに乗った。身体が前に滑り出す。しばらく進むと左に方向を変えた。どうやら廊下のつきあたり近くを通過するようだ。部長はまだ壁に身体を打ち付けている。
「部長! 後ろから引っ張りますからね!」
近づくと同時に部長の腰を抱えるようにひっぱりあげた。
「いや~佐藤、助かったよ」
部長は孝志と一緒に流れながら壁にうちつけていたおでこをさすっている。タイルはそのまま二人をエレベーター前まで連れて行った。
エレベーターに乗り込むと孝志が口を開く。
「まさか他の階までやじるしタイルじゃないですよね……」
「それは勘弁してくれよ~。あと十分で大事な会議が始まるんだ」
エレベーターが三階に到着した。扉が開くと二人同時に足元を見る。タイルにやじるしはない。一歩足を踏み出す。身体はタイルの上に乗ったまま動かない。ほっとして顔を見合わせた。
「部長、よかったですね~」
「社長も全フロアやるヒマがなかったのかもしれんな~」
と、部長が笑いながら先に歩き出す。すると部長の姿がふっと消えた。
その瞬間スマホが鳴った。ラインを開くと部署のグループラインにこう書かれていた。
「三階エレベーター前の落とし穴に注意! まっすぐ進まないでください。一階からやり直しになります」
孝志は落とし穴のタイルを慎重によけながら、果たして部長は十分で無事に戻って来れるだろうかと考えた。
(了)