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1回目と2回目の「差」があなただけの感想になる Part1|受賞するための読書感想文5大メソッド

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読書感想文5大メソッド

1回しか読まないと感想文はあらすじになる

感想文を書くために本を読んだのに、いざ書こうとすると手が止まる。「美しかった」「カムパネルラが消えた場面で泣いた」という気持ちはある。でも、それを言葉にしようとすると、出てくるのはあらすじばかり――。
この経験をした人は多いはずです。そしてこれは、あなたの読解力や語彙力の問題ではありません。

ただ読むだけでは記憶には残らない

はじめて読む物語や小説の中では、「次に何が起きるか」を追うことにほぼすべての意識が持っていかれます。登場人物の名前を覚え、場面の転換を追い、伏線に気づかないまま通り過ぎる。「なぜこの人物はここでこんな行動をとったのか」「この一文はどういう意味だろう」と立ち止まる余裕が、なかなか生まれません。
これはツァイガルニク効果と呼ばれる心理現象と関係しています。ヒトの脳は、完了したことより未完了のことのほうを長く記憶する――つまり、物語を「読み終えた」と感じた瞬間、そこまでの多くの記憶が「処理済み」として薄れていくのです。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を例に考えてみましょう。
物語の終盤、カムパネルラのお父さんから「もう駄目です」と告げられる場面を読んだとき、多くの人はその衝撃に飲み込まれます。銀河鉄道の旅がすべて夢で、その間にカムパネルラはすでにこの世を去っていた。その衝撃が大きすぎて、旅の途中でカムパネルラが何を言っていたか、何を考えていたかは、記憶から薄れてしまいます。
だから、1回だけ読んで書いた感想文が「あらすじ+感動しました」になるのは、当然の結果なのです。

2回目に感じることは同じではない

2回目を読み進めていくと、「この本、こんな言葉が書いてあったのか」と気づくところが多くあります。
同じページを読んでいるはずなのに、見える景色がまるで違う。これはなぜでしょうか。
2回目は、このあと何が起きるかをすでに知っています。だから脳は物語を追うことから解放され、「なぜそうなったのか」に意識が向きます。そのとき、1回目には素通りしていた言葉が、突然意味を持って浮き上がってきます。

銀河鉄道の旅の途中、カムパネルラは涙をこらえながらこんなことを言います。

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
(『銀河鉄道の夜』宮沢賢治)

1回目に読んだとき、この言葉を深く気にとめた人は少ないでしょう。
「カムパネルラはお母さん思いな子なんだな」と思って読み進めるはずです。しかしカムパネルラがザネリを救って川に消えた、という結末を知ったうえで2回目にこの言葉を読むと、まったく違う重さがあります。
カムパネルラはすでに自分が死んだことを知っていた。「ゆるして下さるだろうか」は、誰かのために命を使ったことへの、お母さんへの謝罪だったのではないか……?
この気づきは、1回目の読書では生まれないでしょう。2回目を読むとき、その記憶が「引っかかり」として浮き上がってきます

時間をおいてから読み返したほうが○

2回目はいつ読んでも構いません。読み終えた直後にすぐ読み返しても、引っ掛かりの差分は生まれます。
ただ、ここでは時間を置くことをおすすめしておきます。なぜなら、本を読んだあと、特に意識しなくても、私たちの脳はその本の内容を考え続けています。ぼんやり過ごしているうちに、自分の過去の経験——友人との記憶、いままでうまくいかなかったこと、ずっと気になっていること——が、読んだ場面と自然に結びついてくることがあります

たとえば『銀河鉄道の夜』を読んで数日後、誰かのために動けなかった自分の経験をふと思い出したとき、カムパネルラが迷わず飛び込んだ場面が急に重くなる。そういうことが起きたりします。