第14回「小説でもどうぞ」選外佳作 彩花/朝霧おと
第14回結果発表
課 題
忘却
※応募数217編
選外佳作
「彩花」
朝霧おと
「彩花」
朝霧おと
目の前の女性は静かに微笑んでいた。私と同じくらいの年齢だろうか、少し疲れているようにも見えるが、私の話を辛抱強く聞いてくれている。
「彩花っていう名前の一人娘がいましてね。幼いころからずっと私を追い回してばかりで、私の姿が見えなくなると、とたんに泣き出すような子でした。だから、幼稚園に通いだしたころは、毎朝泣かれて大変、卒園式の朝も泣いていたほどなんですよ」
彩花は手のかかる子どもだった。大きくなれば少しは楽になるかも、と期待したが、違った形で私を悩ませ、母親としての不甲斐なさに自信をなくす日々だった。
女性はうんうんと頷くものの、まるで興味のない様子だ。前にも同じ話をしたような気もしたが、それならそれで「その話は知っています」と言いそうなものだが、初めて聞いたような顔をしている。わざとなのか本当に忘れてしまっているのかはわからない。
その女性が傍らの紙袋から編み針を取り出すのを見ながら話を続けた。
「ほんとに苦労しました。小学三年生くらいまでは私の言うことを素直に聞いてくれていましたが、その後に反抗が始まりまして……」
彩花は元々へそ曲がりなところがあった。それが大きくなるにつれてひどくなり、私の言うことなすことすべてが気に入らないらしく、わざと反対のことをしたり言ったりするようになった。
「習い事は嫌々ながらなんとか通わせていましたが、最後はずる休みをするようになり、勝手にやめてしまいました。何人の先生におわびをしたことか」
女性はレース編みをしながら、ふっと笑った。
「あなたもそんな経験が?」
私が問うと、女性は自分の手元に目を落としたまま首をふった。
今どきレース編みをするなんてめずらしいな、と思いながら、その細かな作業に目が離せない。レース編みといえば定番はテーブルクロスであるが、それにしては形が複雑でやけに大きかった。
女性がふと私に目を向けたので、私は話の続きに入った。
「いろいろ苦労させられたけれど、やはり娘は娘、かわいいものです。その子がある日……」
彩花の顔は小学四年生くらいで止まったままだ。必死に思い出そうとすればするほど顔はぼやけ次第に消えそうになる。
「いなくなりました」
女性は驚いた目をして私を見た。いや、前にもこの話をしたことがあるはずだ。私の記憶では、その時もこの女性は今と同じように驚いて見せたものだ。
わざとなのか、それとも若いのにボケが始まっているのかわからないが、私は目の前の女性を少し気の毒に思った。
しかし女性は私にとって大切な存在だ。とりとめのない話でも聞いてくれる人がいれば私の胸は晴れるのだ。
彩花の顔を思い出そうとして目を閉じた。遠くで子どもの声が聞こえる。始めは幻聴かと思ったが、それはだんだんと近づいてきて
私のすぐそばまでやってきた。
小さな冷たい手が私に触れ、驚いて目を開けた。
こんなことがあるのだろうか。そこにいたのは彩花だった。幼い彩花が息をはずませて私の手に自分の手を重ねてきた。
「どこにいたの。どこから走ってきたの。心配したじゃないの」
私は彩花の頭をなでながら、女性に彩花を紹介した。
「この子です。この子が娘の彩花です。おばちゃんにご挨拶しなさい」
彩花は少し首をかしげて恥ずかしそうに笑った。
女性は気に留める様子もなく、レース編みに夢中で、もうすぐ仕上がりそうな勢いだった。
彩花の後ろから細身の男性が遅れてやってきた。どこかで見たことがあるような、あるいは全く会ったこともないような人だ。
男性は親し気に話しかけてきた。
「お久しぶりです。お元気そうで。エリ、おばあちゃんにちゃんとご挨拶した?」
言っている意味がわからなかったが、この人たちに囲まれているだけで、私は満たされた気持ちになる。
ずっと私の話の聞き役だった女性が「ほら、できたよ、カーディガン」と言ってようやく立ち上がった。
女性は私の胸にモスグリーンの服を当て満足気にうなずいた。
「お母さん、よく似合ってるよ」と微笑みながら。
(了)
「彩花っていう名前の一人娘がいましてね。幼いころからずっと私を追い回してばかりで、私の姿が見えなくなると、とたんに泣き出すような子でした。だから、幼稚園に通いだしたころは、毎朝泣かれて大変、卒園式の朝も泣いていたほどなんですよ」
彩花は手のかかる子どもだった。大きくなれば少しは楽になるかも、と期待したが、違った形で私を悩ませ、母親としての不甲斐なさに自信をなくす日々だった。
女性はうんうんと頷くものの、まるで興味のない様子だ。前にも同じ話をしたような気もしたが、それならそれで「その話は知っています」と言いそうなものだが、初めて聞いたような顔をしている。わざとなのか本当に忘れてしまっているのかはわからない。
その女性が傍らの紙袋から編み針を取り出すのを見ながら話を続けた。
「ほんとに苦労しました。小学三年生くらいまでは私の言うことを素直に聞いてくれていましたが、その後に反抗が始まりまして……」
彩花は元々へそ曲がりなところがあった。それが大きくなるにつれてひどくなり、私の言うことなすことすべてが気に入らないらしく、わざと反対のことをしたり言ったりするようになった。
「習い事は嫌々ながらなんとか通わせていましたが、最後はずる休みをするようになり、勝手にやめてしまいました。何人の先生におわびをしたことか」
女性はレース編みをしながら、ふっと笑った。
「あなたもそんな経験が?」
私が問うと、女性は自分の手元に目を落としたまま首をふった。
今どきレース編みをするなんてめずらしいな、と思いながら、その細かな作業に目が離せない。レース編みといえば定番はテーブルクロスであるが、それにしては形が複雑でやけに大きかった。
女性がふと私に目を向けたので、私は話の続きに入った。
「いろいろ苦労させられたけれど、やはり娘は娘、かわいいものです。その子がある日……」
彩花の顔は小学四年生くらいで止まったままだ。必死に思い出そうとすればするほど顔はぼやけ次第に消えそうになる。
「いなくなりました」
女性は驚いた目をして私を見た。いや、前にもこの話をしたことがあるはずだ。私の記憶では、その時もこの女性は今と同じように驚いて見せたものだ。
わざとなのか、それとも若いのにボケが始まっているのかわからないが、私は目の前の女性を少し気の毒に思った。
しかし女性は私にとって大切な存在だ。とりとめのない話でも聞いてくれる人がいれば私の胸は晴れるのだ。
彩花の顔を思い出そうとして目を閉じた。遠くで子どもの声が聞こえる。始めは幻聴かと思ったが、それはだんだんと近づいてきて
私のすぐそばまでやってきた。
小さな冷たい手が私に触れ、驚いて目を開けた。
こんなことがあるのだろうか。そこにいたのは彩花だった。幼い彩花が息をはずませて私の手に自分の手を重ねてきた。
「どこにいたの。どこから走ってきたの。心配したじゃないの」
私は彩花の頭をなでながら、女性に彩花を紹介した。
「この子です。この子が娘の彩花です。おばちゃんにご挨拶しなさい」
彩花は少し首をかしげて恥ずかしそうに笑った。
女性は気に留める様子もなく、レース編みに夢中で、もうすぐ仕上がりそうな勢いだった。
彩花の後ろから細身の男性が遅れてやってきた。どこかで見たことがあるような、あるいは全く会ったこともないような人だ。
男性は親し気に話しかけてきた。
「お久しぶりです。お元気そうで。エリ、おばあちゃんにちゃんとご挨拶した?」
言っている意味がわからなかったが、この人たちに囲まれているだけで、私は満たされた気持ちになる。
ずっと私の話の聞き役だった女性が「ほら、できたよ、カーディガン」と言ってようやく立ち上がった。
女性は私の胸にモスグリーンの服を当て満足気にうなずいた。
「お母さん、よく似合ってるよ」と微笑みながら。
(了)