第14回「小説でもどうぞ」佳作 同級生/ササキカズト
第14回結果発表
課 題
忘却
※応募数217編
「同級生」ササキカズト
「来た来た、まっさん、こっちこっち」
居酒屋のカウンターの一番奥に座る中年男が、俺を手招きしている。
「お仕事お疲れ。まずは乾杯しようか」
「ああ」
俺は生ビールを注文し、その男とグラスを合わせた。
「まっさんは小学校の時と全然変わらないな」
「そんなことないだろ。俺ももうすぐ四十だ」
「え、四十? 俺もだ」
「そりゃそうだろ、同級生なんだから」
くだらないやり取りで大いに笑った。昨日たまたま立ち寄ったこの居酒屋で、偶然出会ったこの男。小学校の同級生だというが、実のところ俺は、この男のことをまったく覚えていない。
担任はインテリ赤眼鏡の鈴木先生。リレーのアンカーで三人抜きした森がゴール直前で転んだとか、教室に雀が入ってきて山本の肩にとまったとか、この男の話は確かにあのクラスのものだ。俺のまっさんというあだ名も知っているし、同級生だったことは間違いないようだ。しかし最初に名前を聞きそびれると、「ところでお前誰だっけ?」とは、なかなか言い出しにくいものだ。
俺は昨日この町にやって来た。一週間の出張だ。早朝新幹線に飛び乗り、午後から取引先と打ち合わせ。先方の予想以上の無理難題に、重い気持ちで宿へと向かった。途中、雰囲気の良い居酒屋を見つけ、ふらりと立ち寄ったのだ。
カウンター席に座って生ビールを三杯飲み、焼酎へと切り替えたころ、隣の男が急に声をかけてきた。小学校時代のあだ名で。
「もしかして、まっさんじゃないか?」
六年二組の同級生だというこの男は、俺が忘れかけていたような昔の話を、次々としてきた。その内容は確かに記憶にあるのだが、唯一この男のことだけ思い出せなかった。
結局俺は昨日、最後までこの男の名前を聞くことが出来なかった。いや、最後までは覚えていない。飲みすぎてしまって、どうやって宿まで帰ったか覚えていないのだ。妻からのモーニングコールで目覚めたが、これがなければ仕事に遅れていただろう。
俺は妻に、卒業アルバムの集合写真を、写メで送るよう頼んだ。名前が確認出来るページがあったはずだ。そして、あの男のことを思い出してから居酒屋へ行こう。今朝はそう思っていたのに、ばたばたと忙しく一日を過ごし、気づいたときにはこの居酒屋に入っていた。そしてまた、この男とこうして楽しく飲んでいる。
「まっさん、出張なんかして、仕事がんばってるみたいだな」
「上司に嫌な仕事を押し付けられただけさ」
「馬鹿、そんなわけないだろ。まっさんが頼りになるから頼んでるんだろ。昔、修学旅行委員決めるときも、誰もやりたがらないのに、まっさん立候補してたじゃん」
「そういえばそんなこともあったな」
「仕事、嫌いなのか?」
「いや、そんなことないけど。最近はわからなくなってきてるかな」
「なんだよ、がんばれよ。まっさんクラスでもすげえがんばってたじゃんよ」
この夜は、俺の話が多くなった。そして、また飲みすぎて、また妻のモーニングコールで目が覚めた。
「卒業アルバムの写真見た?」と、妻。
確認したかったが時間がなかった。俺は急いでシャワーを浴び、慌ただしく仕事場へと向かった。
今日は前日よりも、前向きな気持ちで仕事に臨むことが出来た。これも昨日あの男に愚痴を聞いてもらったからだろう。
仕事を終えると、俺は妻がスマホに送ってくれた集合写真を見てみた。一人一人の顔と名前を確認する。全員のことをちゃんと覚えていた。が、あの男はいない。
思えば、あの男の想い出話には、あの男本人が登場しないのだ。今日こそはまず、あの男が誰なのかを確かめよう。そう決心して居酒屋のドアを開けた。
カウンターの一番奥の席には、あの男の姿はなく、固定された丸椅子に「故障中」と貼紙がしてあった。俺は昨日と同じ席に座り、隣の席のことを店員に尋ねた。
「その椅子、もう二週間も故障中でして。業者がなかなか来てくれないんですよ」
二週間……。ということは、昨日もおとといも、隣の席には誰も座れない?
故障した椅子の前のカウンターには、招き猫の置物が置いてあった。それは「こっちこっち」というあの男の手招きを思い起こさせた。この招き猫があの男? そんな馬鹿な……。飲みすぎて変な夢でも見たのだろう。
俺は生ビールを注文し、招き猫に向かって乾杯をした。
今夜もまた、飲みすぎてみるか。
(了)
居酒屋のカウンターの一番奥に座る中年男が、俺を手招きしている。
「お仕事お疲れ。まずは乾杯しようか」
「ああ」
俺は生ビールを注文し、その男とグラスを合わせた。
「まっさんは小学校の時と全然変わらないな」
「そんなことないだろ。俺ももうすぐ四十だ」
「え、四十? 俺もだ」
「そりゃそうだろ、同級生なんだから」
くだらないやり取りで大いに笑った。昨日たまたま立ち寄ったこの居酒屋で、偶然出会ったこの男。小学校の同級生だというが、実のところ俺は、この男のことをまったく覚えていない。
担任はインテリ赤眼鏡の鈴木先生。リレーのアンカーで三人抜きした森がゴール直前で転んだとか、教室に雀が入ってきて山本の肩にとまったとか、この男の話は確かにあのクラスのものだ。俺のまっさんというあだ名も知っているし、同級生だったことは間違いないようだ。しかし最初に名前を聞きそびれると、「ところでお前誰だっけ?」とは、なかなか言い出しにくいものだ。
俺は昨日この町にやって来た。一週間の出張だ。早朝新幹線に飛び乗り、午後から取引先と打ち合わせ。先方の予想以上の無理難題に、重い気持ちで宿へと向かった。途中、雰囲気の良い居酒屋を見つけ、ふらりと立ち寄ったのだ。
カウンター席に座って生ビールを三杯飲み、焼酎へと切り替えたころ、隣の男が急に声をかけてきた。小学校時代のあだ名で。
「もしかして、まっさんじゃないか?」
六年二組の同級生だというこの男は、俺が忘れかけていたような昔の話を、次々としてきた。その内容は確かに記憶にあるのだが、唯一この男のことだけ思い出せなかった。
結局俺は昨日、最後までこの男の名前を聞くことが出来なかった。いや、最後までは覚えていない。飲みすぎてしまって、どうやって宿まで帰ったか覚えていないのだ。妻からのモーニングコールで目覚めたが、これがなければ仕事に遅れていただろう。
俺は妻に、卒業アルバムの集合写真を、写メで送るよう頼んだ。名前が確認出来るページがあったはずだ。そして、あの男のことを思い出してから居酒屋へ行こう。今朝はそう思っていたのに、ばたばたと忙しく一日を過ごし、気づいたときにはこの居酒屋に入っていた。そしてまた、この男とこうして楽しく飲んでいる。
「まっさん、出張なんかして、仕事がんばってるみたいだな」
「上司に嫌な仕事を押し付けられただけさ」
「馬鹿、そんなわけないだろ。まっさんが頼りになるから頼んでるんだろ。昔、修学旅行委員決めるときも、誰もやりたがらないのに、まっさん立候補してたじゃん」
「そういえばそんなこともあったな」
「仕事、嫌いなのか?」
「いや、そんなことないけど。最近はわからなくなってきてるかな」
「なんだよ、がんばれよ。まっさんクラスでもすげえがんばってたじゃんよ」
この夜は、俺の話が多くなった。そして、また飲みすぎて、また妻のモーニングコールで目が覚めた。
「卒業アルバムの写真見た?」と、妻。
確認したかったが時間がなかった。俺は急いでシャワーを浴び、慌ただしく仕事場へと向かった。
今日は前日よりも、前向きな気持ちで仕事に臨むことが出来た。これも昨日あの男に愚痴を聞いてもらったからだろう。
仕事を終えると、俺は妻がスマホに送ってくれた集合写真を見てみた。一人一人の顔と名前を確認する。全員のことをちゃんと覚えていた。が、あの男はいない。
思えば、あの男の想い出話には、あの男本人が登場しないのだ。今日こそはまず、あの男が誰なのかを確かめよう。そう決心して居酒屋のドアを開けた。
カウンターの一番奥の席には、あの男の姿はなく、固定された丸椅子に「故障中」と貼紙がしてあった。俺は昨日と同じ席に座り、隣の席のことを店員に尋ねた。
「その椅子、もう二週間も故障中でして。業者がなかなか来てくれないんですよ」
二週間……。ということは、昨日もおとといも、隣の席には誰も座れない?
故障した椅子の前のカウンターには、招き猫の置物が置いてあった。それは「こっちこっち」というあの男の手招きを思い起こさせた。この招き猫があの男? そんな馬鹿な……。飲みすぎて変な夢でも見たのだろう。
俺は生ビールを注文し、招き猫に向かって乾杯をした。
今夜もまた、飲みすぎてみるか。
(了)